2016年2月6日土曜日

ブッダガヤ母子保健プロジェクト 2月2日 村の保育所

ブッダガヤ母子保健プロジェクト

2月2日 オウラ村
2 Feb. 2016 Mothers & Infants Health Care Project


オウラ村で今回話題になったのは、「年子と避妊方法」、そして「産後のお腹引き締め」、それから「3ヶ月間体重・身長の増加が見られない赤ちゃん」です。そして「村の保育所」についてです。

「年子と避妊方法」

生まれて一ヶ月の赤ちゃんを連れて来たお母さんに、何人お子さんがいるか尋ねると、この赤ちゃんが4人目だと言いました。子供達の年齢を聞くと、4歳、3歳、1歳、0歳でした。ほぼ毎年出産しています。特に今回は一年の間に2回出産したのだそうです。

DSC_4845レイカ先生が「避妊はしないのですか?毎年出産していたら、体が弱りますよ。Tコッパーをつけたらどうですか?」と言いました。
お母さんは何のことか意味がわからないのか、ただ黙っています。
「コンドームは使わないのですか?」と聞くと、レイカ先生は「村の男性は誰も使いません。」と言いました。

卵管結紮手術を政府は推奨していますが、術後からずっと出血が止まらなかったり、体調を崩している人も少なくありません。男性のほうが手術が簡単なので、ご主人に手術をしてもらったらどうかと聞いたところ、女性のほうからはそれは言えないということでした。

DSC_4857それから、子供4人はみんな女の子です。男の子が生まれるまでは生み続けなくてはならないそうです。毎年だとお母さんの体が回復する暇がないし、育児も大変です。せめて2年から3年は間を空けるよう、アドバイスしました。

「産後のお腹引き締め」

一才くらいの赤ちゃんを抱っこしたお母さんに、レイカ先生が「妊娠中ですか?」と質問しました。確かに大きいお腹をしています。
「いいえ。出産して1年経ちますがお腹がそのままです。」とお母さんは答えました。

「帝王切開でしたか?」と私が質問すると、やはりそうでした。私のインドの知り合いは帝王切開の後、ずっとお腹が大きいままの人がよくいます。レイカ先生が「ベルトはしないのですか?」と聞きました。インドの田舎にも腹帯があるのか、と驚きました。これまで私は、腹帯を妊娠中も産後もつけている人をインドで見たことがありませんでした。売っているのも見たことがありません。

「3ヶ月間体重・身長の変化が見られない赤ちゃん」

DSC_48481歳くらいの赤ちゃんですが、ちょっと手足が細いので、これまでの記録を見てみました。すると、過去3ヶ月間、体重と身長が変わっていません。クリニックでの診察をお勧めしました。

このプロジェクトは、こういう赤ちゃんを発見し、健康状態を向上させるのが目的です。毎月の記録を通して、赤ちゃんの健康状態のことをお母さんたちに気づいてもらうのが目的です。

「村の保育所」

もう片付けて帰ろうか、という頃、大きな声が聞こえました。アンガンワリ(村の母子のための政府の世話人)が誰か女性に怒られていました。私は私達の活動に対して文句を言って来るのかな、と思い、すぐに飛んで行ってその女性と話しをしました。
その女性はアンガンワリの仕事のチェックをしている役場の調査官でした。私達のプロジェクトの活動について説明すると、「それはいいです。でも、このアンガンワリは全然仕事をしていないんです。」とおっしゃいました。

それからレイカ先生たちと一緒にお話しを伺いました。
その方の説明によると、アンガンワリの仕事は月曜日から土曜日まで、10時から2時まで、0歳から6歳までの乳幼児をセンターで預かり、簡単な学習をさせ、おやつやお昼ご飯を提供するのが仕事だ、ということでした。
他にはワクチン接種の時期に村中の親子に呼びかけることも仕事です。

私達がプロジェクトの仕事を始めるとビスケットと石鹸を配布するのでたくさんの親子が集まります。ところが、普段、アンガンワリのセンターには5、6名ほどの子供しか来ないそうです。
毎月月末にはその月の子供の誕生日会をするはずが、このセンターではかつて行われたことがないそうです。誕生日会をするのは、親子共に誕生日を記録すること、覚えていることの大切さを理解してもらうためだそうです。

その調査官は、アンガンワリのアシスタントの女性について、「アンガンワリがいてもいなくても、いつもちゃんと掃除したり子供達にご飯を食べさせてくれている。とてもしっかり仕事をしている。」と誉めていらっしゃいました。実は、それは私達も毎回感じていたことでした。

色々お話しをして、私達のプロジェクトはアンガンワリのお手伝いを兼ねているので、今後、アンガンワリのセンターの活動も、時々お手伝いさせていただくことになりました。




2016年2月4日木曜日

ブッダガヤ母子保健プロジェクト 1月28日 赤ちゃんの皮膚病

ブッダガヤ母子保健プロジェクト

NGOチルドレンエイドは、村のお母さんと赤ちゃんの健康向上を目指して「ブッダガヤ母子保健プロジェクト」の活動をしています。2ヶ所の村を毎月訪問し、1歳未満の新生児の体重・身長測定をし、妊婦の体重・血圧測定をしています。

2016年1月28日 ティルカ村

28Jan.2016 Mothers & Infants Health Care Project

DSC01330ティルカ村では、赤ちゃんの皮膚病が目立ちました。前回皮膚病がひどかった赤ちゃんの治療のため、NGOが運営する無料で診察してもらえるクリニックを紹介したところ、ほとんど治っていました。薬が切れたということで、もうしばらく続けたほうがいいとアドバイスしました。
他の赤ちゃんで皮膚病がひどい子がいたので、クリニックの受診を勧めました。原因を調べるため、お宅を訪問しました。


DSC01400その子の自宅 は村の普通の家のように、かがまないと入れない入り口があり、寝室は窓が無く真っ暗でした。衣服の洗濯をどこでしているのか尋ねると、道路を挟んで向こう側の村の共同ハンドポンプで洗濯をしている、ということでした。

DSC01399見に行ってみると、ハンドポンプ周辺は日陰になっており、横の溝と同じように低い場所に作られていました。汚れた水が常に溜まっていて、ここで洗濯をしたら、ばい菌をつけに来ているようなものだと思いました。

ハンドポンプの設置場所、設置の仕方、そしてそこからどう排水されるか、よく考えずに設置されたようです。排水溝も汚水やゴミが溜まっていました。

ビハール州政府は最近あちこちで上水道や下水道の工事をしていますが、実際に村々に行き届き、使用されるようになるには、、、かなり長い年月が必要だと思われます。

とりあえず、衣服を洗濯する際に水に混ぜる消毒薬を渡し、使い方を説明しました。

赤ちゃんの母親や祖母も同じ皮膚病になっていたので、クリニックで受診するようにアドバイスしました。


2016年2月2日火曜日

第一期卒業生アジャイの死

「アジャイが死んだこと、知っていますか?」
数日前、母子保健プロジェクトの仕事で村へ車で向かっている時でした。
プロジェクトにいつも参加してくれているバビータ先生が質問してくれました。

アジャイはバビータ先生の住んでいる村の隣の村に住む、スーリヤ校第一期卒業生でした。(2012年4月卒業)
「心のきれいな人は神様が早く天国に呼んでしまうんでしょうか?まだ小さい子供がいて、奥さんのお腹にも赤ちゃんがいるらしいんですよ。かわいそうに、、、」
バビータ先生は知っている情報を教えてくださいました。
工事現場で働いていて、感電してしまったそうです。

母子保健プロジェクトの仕事をしながら、いつも通り平静を装い、村の女性たちと会話していましたが、頭の中はアジャイのことがグルグル回っていました。

その話を聞いた夕方、隣の州で下宿しているビクラムが会いに来てくれました。
お祭りでもないのに、どうしたのかと思ったら、アジャイの家にお悔やみを言いに一日だけ急遽戻って来たのだそうです。ビクラムはアジャイと同じ第一期卒業生です。

私たちは顔を見るなり、アジャイのことをお互いに話し出しました。

ビクラムはアジャイの家に行って聞いてきたことを色々話してくれました。
アジャイは、現場監督が感電したところに、偶然接触して感電してしまったそうです。
現場監督はすぐに病院に運ばれましたが、アジャイは4時間ほどその場に放置されていたそうです。同じ村の出身者が工事現場におらず、家族にも連絡が出来なかったそうです。
事故から約4時間後、村の知り合いが車で病院のあるガヤ街まで搬送してくれたそうですが、途中でアジャイは息絶えてしまったそうです。

「アジャイには1歳半くらいの女の赤ちゃんがいます」
ビクラムは、アジャイの子はちょうど私の末娘と同じくらいだ、と言いました。
同じ第一期卒業生たちのほとんどがアジャイの家に集まってアジャイにお別れをしたそうです。
「マダム、、、、僕は後悔しているんです。つい一ヶ月ほど前、村でアジャイに会った時に、大学2年まで教育を受けたのに、ずっと労働者でいいのか、マダムのホテルで働いたらどうだ、って言っていたんです。今度塾が休みになったら、一緒に行って、マダムと社長に頼んであげる、って、話していたんです。僕がもっと早くホテルにアジャイを連れて来たら、、、アジャイがこっちで仕事をしていたら、、、あんな事故で死ななくて良かったのに、、、、。アジャイのお母さんは早くに死んで、だから、アジャイは早くに結婚させられた。結婚していなかったら、僕のようにまだ大学生だったかも知れない。」とビクラムは言いました。

私は胸が痛くなりました。アジャイの運命を方向づけたのは自分なのではないか、そんな思いが浮かびました。村の幼児婚の習慣を止めるため、法律で定められた結婚年齢まで結婚しないよう、いつも生徒たちに私は言っていました。そして、卒業前に結婚していたアジャイを、大学進学の奨学生には入れませんでした。そしてアジャイは工事現場で労働をすることになったのです。

私はその翌日、校長先生とレイカ先生、マドゥ先生と一緒にアジャイの家を訪問しました。
アジャイの家は、私達夫婦が2001年に学校を開校した建物から、池を挟んでちょうど裏側にありました。私たちがそちらへ向かっていると、私達を見て、手で顔を覆って泣き出した老人がいました。アジャイのお父さんでした。

お父さんが家へ案内してくれました。レンガ作りの素朴な、3畳ほどの小さな家です。お父さんが指し示した家の中には、膝を抱えてうずくまっている女性がいました。アジャイの奥さんです。

私が近づいて声をかけると、ワーッと大きな声で泣き出しました。私はかける言葉がなくて、ただただ背中をさすっていました。

年配の女性が赤ちゃんを抱っこして来ました。確かに私の末娘と同じくらいです。
「アジャイの娘さんですか?あなたはアジャイのお母さんですか?」と私は聞きました。
「私はこの娘(アジャイの奥さん)の母親です。アジャイの母親はアジャイが赤ちゃんのころに亡くなっています。」とその女性は答えました。

アジャイの赤ちゃんの名前を聞くと、「アルカです。」とお義母さんが答えました。
「偶然ですね。私の主人の妹も同じ名前です。」と私が言うと、「偶然じゃありません。アジャイはこの子に、その妹さんのようになってほしいと、名づけたんです。いつもスーリヤ校のことやマダムのことを話していたんですよ。」と言われました。私は胸がしめつけられるような感じがして、涙を必死で我慢しました。母親を早くに亡くしたアジャイは私のことを母親のように親しく感じていたのかも知れない。でも、私はアジャイを大勢の生徒の中の一人としてしか接していませんでした。

レイカ先生が「ちゃんとご飯を食べていますか?お腹に赤ちゃんがいるんでしょ?自分のためじゃなくて、赤ちゃんのために食べないとだめよ。」とアジャイの奥さんに声をかけました。

アジャイのお義母さんは「あれから全然食べないんです。この子(赤ちゃん)が熱を出しているのに、立ち上がることも出来ないから、私が医者に見せに行きました。」と言いました。

「もしかするとアジャイの魂が赤ちゃんに入って生まれてくるかも知れませんよ。大事にしてあげて。」というレイカ先生の言葉に、お父さんは驚いてまた泣き出しました。

お腹に赤ちゃんがいること、お父さんは知らなかったようでした。

「アジャイが4ヶ月の時、母親は病気で死んでしまいました。私は長男とアジャイを一人で育てたんです。」とお父さんは言いました。

まだ泣き続けているアジャイの奥さんに私は言いました。
「アジャイの子供二人は大きくなったらスーリヤ校に入学させましょう。あなたにも何か仕事をあげます。」

すると、アジャイのお義母さんは、「この娘は大学2年まで出ています。」と言いました。アジャイが結婚したのはスーリヤ校在校中でした。田舎の習慣で親どうしが早くに結婚させました。結婚してからもお互いに実家で学業を続けていました。アジャイはいつも電話で、「お義母さん、勉強は好きなだけ続けさせてあげてください。途中で止めさせないでください。」と言っていたそうです。

アジャイ自身、スーリヤ校卒業後、労働者として働きながら、大学2年生まで勉強し、奥さんの勉強も経済的にサポートしていたそうです。

「現場監督の巻き添えだそうですが、工事現場の社長は何か補償はくれるのですか?」と聞くと、
「お葬式の日はお金をあげる、と言っていました。でも、お葬式の翌日に一変して、お金を要求するなら、裁判しろ、と言われました。」とお父さんが答えました。裁判にはお金が大変かかります。アジャイの家にはそんな余裕はなさそうです。それがわかっていてその現場の社長は裁判しようと言ったのでしょう。

帰り際、近所のアジャイの友人がいろいろ話してくれました。
アジャイがスーリヤ校に通っていたころ、いつも朝、家族の朝ごはんを作ってから学校へ行き、学校から帰ったら畑仕事をして家族の夜ご飯も作っていたそうです。近所で人不足で困っていたら、自分の収入にはならないのに農作業を手伝ってくれたそうです。村で誰か病人が出たら、いつもアジャイが病院に連れて行ってくれたそうです。

子供が生まれてから、家族のために稼がなくてはと、農業だけでなく、工事現場で働くようになったそうです。最初はレンガやセメントを運ぶ労働でしたが、左官工事を手伝っている内に仕事を覚え、最近は職人として日給400Rs.ほど稼いでいたそうです。そんな矢先の事故でした。

「アジャイは子供のころ、友達に棒でたたかれました。でも、その友達をかばって、たたかれていない、と言うような、とても優しい子でした。」帰り道、校長先生はアジャイのエピソードを思い出し、いろいろ話してくれました。

私はアジャイの写真を探しました。いい写真があればご家族にあげようと、、、。写真の中でアジャイはいつも後ろのほうにいました。どの写真もほとんどが端っこかみんなの後ろです。彼らしい、控えめな性格がよく出ています。卒業式の記念写真では私の後ろにいました。

アジャイに、「奥さんと子供のことは任せて。安心して天国で待っていて。」と私は心の中で言いました。




















2015年11月9日月曜日

ビハール州州議会選挙の結果

<ビハール州州議会選挙の結果>

今日11月8日は、ビハール州州議会選挙の開票日でした。
243議席の内、JDU・RJD・Congress連合(マハーガトバンダン)は178議席、BJPのNDA連合は58議席、その他は7議席という結果になりました。
JDUのNitish Kumarが州知事を3期連続で就任しました。
(2014年5月~2015年2月まではNitishが任命したJitam Ram Mahjhiが州知事となりましたが、その後Nitishは再度州知事に復帰)

各地の選挙期間中の空気は、都市部の知識層はBJPに対して大きな発展を期待している人が多く、ほとんどのマスコミもNDAの勝利を予想していました。
にもかかわらず、JDUとRJD・Congress連合がBJPのNDA連合の約3倍もの議席を勝ち取りました。
その理由として考えられるのは、
①地方の田舎の人たちがNitishが果たして来たこの10年の貢献に対して敬意を払ったということ(最低カースト・ダリットたちへの優遇政策。女子の教育推進運動。低カーストの母子への配給。道路工事。ゲリラを徹底して掃討。)
②NitishがRJDと連立を組んだことで、10年間活躍の場を失っていたヤダブ(牛乳屋のカーストでマフィア)たちが復権のチャンスだと立ち上がったこと
③そして、イスラム教徒の人々が、アンチBJPとしてRJDに投票したこと(ヒンドゥットゥバ政策に対する反発。ビーフ問題の事件も影響)
これらの要因がJDUとRJD連合の勝利につながったと思います。
*①、②、③の詳細は後半をご覧下さい

<今後のビハール州の変化の予想>
JDUに対しては10年間州政府の中心としてビハールを地獄の暗黒時代から平和な天国へ変えて来た実績から、定評があります。
しかし、熱狂的なモディ人気に対して、対抗するため、RJDと連立を組みました。
この連立は、都会の知識層にとっては、Nitishが選挙に勝つために悪魔に魂を売ったような印象を与えました。
なぜなら、RJDが州の政権を握っていた時代を暗黒時代と誰もが言うくらい、その時代は地獄のような社会だったからです。
RJDの党首Lalu Yadav Prasadは90年から97年まで州知事、97年から2005年まではラブリ婦人を州知事にしましたが実質影の州知事でした。この90年から2005年の15年間をビハールの暗黒時代と呼びます。
Laluは徹底した衆愚政治を行い、教育機関をほとんど機能しないようにし、各地の学校はほとんど閉鎖状態にし、牛乳の搾り方の学校を各地に作りました。
Laluのカーストである牛乳屋カースト・ヤダブたちは権力を利用してマフィア化し、一族が私腹を肥やすことに努力しました。
マオイストのゲリラと相互関係を築き、恐怖政治に使いました。警察が捕まえたゲリラを電話一本で釈放させ、選挙の度に、反対派が多い地域の投票所を襲撃させました。
Laluの時代は、マフィアとゲリラが支配する恐怖の時代でした。
Lalu本人は汚職事件や様々な事件で有罪判決を受けており、知事になることは法律上出来ません。しかし、彼の息子二人は州議員に当選しました。
予想では、Laluの代わりに、息子の一人が副知事に就任するだろうと言われています。

その時代を知る世代は、Nitish知事を信用しながらも、少なからず不安を感じています。
Laluは権力の使い方をよくよく知っているので、Nitish知事がどれだけLaluを押さえ込み暴れないようにコントロール出来るか、にビハール州の未来はかかっていると地元の人々は話しています。
Nitish知事が警察や官僚たちをしっかり管理して、マフィアやゲリラが復活しないように頑張っていただくしかないです。
Nitish知事もこの10年の間にゲリラを徹底的に排撃して、地獄を天国に変えた人ですので、もしLaluが変な動きを始めたら連立解消するなど、政治家としての力を発揮すると思います。Laluを押さえることが出来る可能性もあります。
Laluは鉄道大臣時代に国鉄を赤字から黒字に変えた実績があります。
Laluは頭のいい人ですので、いい方向にNitishが使えば州の発展に貢献してくれるかも知れません。
今後のビハール州の行き先は、Nitish知事の力量にかかっています。


<①、②、③詳細>
①Nitish知事のJDU政権の貢献
Nitish知事はビハール州の州知事に就任してから、まず、マオイストのゲリラ(ナクサリライト)の徹底掃討作戦を実行しました。
ゲリラと見なしたら出会いがしらに撃ち殺すという方法で、州の隅々までゲリラを排除しました。
昔はゲリラやマフィアが強盗・恐喝を頻繁に行っていたので、夜間の外出は危険で困難な状況でした。Nitish知事の州政府になってからは真夜中でも車の移動が可能になりました。今は大変平和になりました。
また、昔は頭に枕を乗せて車に乗ったほど、でこぼこがひどい道路でした。Nitish知事の州政府になってからは、耐久性のある丈夫な道路が地方の村々まで舗装され、大変便利になりました。
Nitish知事は政府の学校を活性化し、教師の試験に力を入れるなど教育事業推進に努力して来ました。特に女性の教育促進にも力を入れて来ました。政府の学校に通う女子生徒に自転車を与える運動により、田舎の女子の就学率がぐんと上がりました。
低カーストの貧困層や、特に妊婦と乳幼児とその母親たちに対して定期的に配給を行っています。
暗黒時代を牛耳っていたヤダブたちの力を弱らせるため、JDUは最低カーストであるハリジャン(ダリット)の優遇政策を取って来たので、特に地方の田舎のダリットたちはJDU支持者が多くなりました。ダリットたちは大学の入学もハードルが低く、優先されます。
(BJPは、指定カーストに対する大学入学・公務員試験優遇政策(リザベーション)の廃止を訴えていました。BJPはその反発を受けた可能性もあります。
また、BJPは選挙中、JDUの実績に対して批判するとき、2013年にJDUが連立解消するまで一緒に州政府として仕事をしていたので、自分自身の実績を批判しているような感じを受けました。)

②RJDと連立を組んだ影響
マハーガトバンダンは主にJDUとRJDとCongressの連合のことです。Congressはあまり大きな印象はありませんが、RJDと連合を組んだことは今回の選挙の一番の論争の焦点になっていました。マフィアの大ボスであり、ゲリラの保護者であるLalu元州知事の政党がRJDで、Nitish知事はそのマフィアとゲリラを徹底して排除して来たので、これまでの最大の敵と組んだ、という大きな驚きを人々に与えました。Nitish知事の支持者であった人も、Laluと組んだことで失望した、と言う人もいました。まさに敵の敵は味方というやり方です。
この10年間、JDUとBJPのNDA政権の下、力を奪われ、おとなしくなっていたRJDのヤダブ・カーストの人たちは、呪縛から解き放たれたように元気を盛り返しました。
表向きはRJD支持者はNitishを持ち上げJDUと協力していますが、ヤダブ出身のマフィアは復活を望んでいるでしょうし、田舎に潜むゲリラとつながる人々はLaluが再びゲリラに力を与えることを期待しているものと思われます。

③イスラム教徒の票
イスラム教徒は今回の選挙で大変大きな影響を与えたと思われます。イスラム教徒たちは団結力が強く、いつも選挙では一定の方向に投票する傾向があります。指定カーストの人々と似た状況ですが、自分たちが得する政策をする政党を支持します。毎回、その時の状況によって支持する政党が違います。
今回の選挙では、RJDやJDUに投票する流れが出たようです。
JDUは票稼ぎのため、これまで低カーストへの優遇政策と同様に、イスラム教徒への優遇政策も行って来ました。ガヤ空港をメッカ巡礼のための空港に指定し、巡礼の費用も一部州政府が負担しているそうです。
また、選挙期間中に牛やビーフに関する事件がいくつかインドで起こりました。大きなニュースはダドリー事件です。UPのダドリーという村で、イスラム教のお祭り「バクリッド」の日、イスラム教徒の男性がヒンドゥ教徒の村人たちにリンチに遭い、殺害されました。バクリッドは主にヤギカレーを食べるお祭りですが、その男性の家では牛を殺してビーフカレーを食べている、という噂が出て、その村のヒンドゥ教の寺院で男性の襲撃が決定されたのだそうです。殺害された男性の家の冷蔵庫にあったカレーの肉を検査したところ、ヤギ肉であったことが証明されました。殺害された男性の息子は軍隊に勤めており、残った家族は軍が保護しています。
このビーフに関する事件の背景には、BJPが推進しているヒンドゥットゥバ運動があります。ヒンドゥ教の思想や儀式をもっと大切にしよう、という運動です。その中で出てきた政策案が牛の屠殺禁止、ビーフの流通禁止です。イスラム教徒はビーフを食べる習慣があるので、この政策には反対しています。
このビーフ騒動の後、BJPは牛を抱きしめている女性の写真を宣伝に使ったりしました。ヒンドゥ教徒に対して共感を得ようとしたのかも知れませんが、イスラム教徒の反感を買ってしまった感じがします。
このビーフ問題に象徴されるヒンドゥットゥバ運動に対する反発が今回の選挙のイスラム教徒票の流れを方向付けた印象があります。


2015年11月6日金曜日

ブッダガヤ母子保健プロジェクト 訪問する村が2ヶ所になりました!

Sep. & Oct. 2015 Mothers & Infants Health Care Project
ブッダガヤ母子保健プロジェクトは妊婦と新生児の健康向上を目的として活動しています。

2015年9月から訪問する村を2ヶ所にしました。妊婦と新生児の健康相談、妊婦の体重測定と血圧測定、新生児から一歳未満の乳児の体重・身長測定、母親達への衛生教育・育児指導を行っています。
毎月の体重・身長測定を通して、栄養が足りているか、どこか病気ではないかなど、新生児や乳児の健康状態を母親に意識してもらうのが目的です。

  


様々な村をリサーチし、特に貧困レベルが高く、新生児が多い村を選びました。

村には政府が契約しているアンガンワリという女性がいます。

アンガンワリの仕事:
政府が支給している食料で定期的に妊婦や新生児の母子に対して食事を提供。
妊婦の出産の際に病院に行くように説得。また、病院に連れていく。
予防接種の呼びかけと実施。

私達は村での活動は、彼女たちの協力を得て行っています。

アーシャという村の産婆さんにも村の女性たちの出産の状況について聞いています。

以前に比べると、州政府が奨励しているからですが、病院での出産がかなり増えて来ました。
しかし、まだまだ昔ながらの方法で自宅出産をする人もいます。

病院で出産すると、産婦も、連れて行った人も奨励金がもらえます。
出生時の体重など、出産の記録などが書かれる母子手帳(冊子にはなっておらず、折りたたんだ地図のような紙)がもらえます。

妊婦で出産が間近な人に質問してみると、病院での出産は気が進まないと言っていました。
病院だとすぐに帝王切開される気がして怖いのだそうです。

自宅での出産は何もなければいいのですが、もし何か異常があり、すぐに処置しなくてはならない場合、間に合わない、と説明し、病院ならすぐに対応出来ると、病院での出産をお勧めしました。

乳児や幼児で気になったのは、皮膚病です。

貧しい村は生活用水の水質が悪く、また水路が整っていないせいであちこちに不衛生な水溜りが出来、ばい菌が繁殖しやすい状況にあります。

無料で治療してくれるクリニックを紹介していますが、村の女性はなかなか病院に行きません。

いつかは村に定期的に医師・薬剤師を呼んで巡回診療が出来ればいいなと考えています。

村の女性たちや子供達が健康で元気に生活出来るよう、お母さんたちの教育に力を入れてまいります。

インド人の皆さんは涼しくなった、と言う30度から35度の気温の中3時間ほどいるのは、日本人としては結構しんどいです。しかも村人や子供達が取り囲むので風が通らずサウナ状態です。村にはトイレがないので水を飲むのを控えていたらふらふらになります。自分の一歳の乳児も村に連れて来ています。私が仕事している間、バッファローとヤギの横で遊んでいました。(スタッフがついてくれています)丈夫に育ちそうです。

  


  








2015年2月27日金曜日

クリケット選手を目指す卒業生

スーリヤ校卒業生でクリケット選手を目指してトレーニングを頑張っている子が、「自分のチームがリーグで優勝した」と、そのことが載った記事の切り抜きを持って来てくれた。胸ポケットから大事そうに、小さく折りたたんだ切り抜きを出して広げて見せてくれた。

憧れのドニ(有名なクリケット選手)が、アカデミーに遊びに来たそうで、すぐ近くで見たとうれしそうに語った。でも、彼の携帯はカメラがついていないので、写真は取れなかったそうだ。「私はドニと同じ飛行機に乗っていて、空港で握手してもらったよ。」と言うと、すごい!と感激していた。

背は高いけど、やっぱり今でも細いので、ちゃんと食べてるのか聞いたら、トレーニングの時間と食事のタイミングが合わなくて、なかなか食べられないらしい。もともとベジタリアンだったけど、トレーニングを受けると決まってから、せめて卵を食べるように約束した。活躍しているけど、健康が心配。

将来のこととか、いつまでトレーニングを続けるかとか、現実的な話もしたいけど、瞳に☆がキラキラしているから、やっぱり応援してしまう。

この子に出会って、もう15年ほどになる。「マー(お母さん)」と呼んでくれる。ほんと、子供のような感覚。

行けるところまで頑張ってほしい。

2015年1月26日月曜日

インド生活、再スタート!村の新生児や子供たちの健康調査

6ヶ月になった次女を連れ、先月、インドに戻ってまいりました。

戻ってからというもの、毎日イベント盛りだくさんで、インドを離れていた間にたまっていた仕事に追われております。

今日はブッダガヤから10キロ離れたところにある村と8キロ離れたところにある村を訪問し、新生児や子供たちの健康状態のリサーチをして来ました。

最初に訪れた村はハリジャンコロニーで、最下層カーストの村です。

母子保健プロジェクトでお手伝いいただいているレイカ先生に引率してもらいました。

村の入り口で車を降りて歩き出すと、外国人が珍しいのか、すぐに村人たちが集まってくれました。

一ヶ月くらいと思われる新生児を抱いているお祖母さんに「この赤ちゃんは何ヶ月ですか?」と質問したところ、なんと6ヶ月でした。

私が抱えている次女は7ヶ月になったところです。すぐ横で比べてみると大きさが1.5倍ほど違いました。次女が生まれてすぐの頃より小さく思えました。

他の赤ちゃんたちも月例を聞いてみると驚くほど体が小さく思えました。

貧しい村では成人した大人もとても小柄なので、元々の骨格が違うのかも知れませんが、それにしても赤ちゃんたちは栄養状態が非常に悪いようでした。

幼児も手足が細く、ハナをたらしている子供たちも多く、中には異様に頬がこけている子もいて、明らかに栄養失調の状態でした。

この村の子供たちや母親たちには助けが必要だと思いました。

しかし、問題がひとつ。この村を管轄する役場はブッダガヤの役場ではないのです。

ブッダガヤの役場はいつもやり取りをしていて協力をいただいているのですが、この村を管轄する役場はブッダガヤから大変遠い場所にあり、これまで交渉したことがありません。新しい挑戦になります。

州政府は貧しい人たち、特に代々差別を受けて来た低カーストの人たちのために、様々な支援をしています。

その一つがアンガーンワリの仕事で、その地域ごとに貧しい母子の健康のため、栄養食を配布したり、予防接種を受けさせるなどの仕事をしています。

しかし、その役割がうまく機能していない地域があるのです。貧しい人たちにどういう支援が受けられるのかを理解してもらい、アンガーンワリと協力して政府の支援が届くよう私たちはお手伝いしています。

そして、もう一箇所ブッダガヤから8キロ離れた村も訪問しました。村を一周しましたが、新生児は少なく、幼児がたくさんいました。

日が暮れてしまったので、いったん引き上げることにしました。

この村の周りにももっと貧しい村があるので、次回はそちらを訪問することにしました。