2015年11月9日月曜日

ビハール州州議会選挙の結果

<ビハール州州議会選挙の結果>

今日11月8日は、ビハール州州議会選挙の開票日でした。
243議席の内、JDU・RJD・Congress連合(マハーガトバンダン)は178議席、BJPのNDA連合は58議席、その他は7議席という結果になりました。
JDUのNitish Kumarが州知事を3期連続で就任しました。
(2014年5月~2015年2月まではNitishが任命したJitam Ram Mahjhiが州知事となりましたが、その後Nitishは再度州知事に復帰)

各地の選挙期間中の空気は、都市部の知識層はBJPに対して大きな発展を期待している人が多く、ほとんどのマスコミもNDAの勝利を予想していました。
にもかかわらず、JDUとRJD・Congress連合がBJPのNDA連合の約3倍もの議席を勝ち取りました。
その理由として考えられるのは、
①地方の田舎の人たちがNitishが果たして来たこの10年の貢献に対して敬意を払ったということ(最低カースト・ダリットたちへの優遇政策。女子の教育推進運動。低カーストの母子への配給。道路工事。ゲリラを徹底して掃討。)
②NitishがRJDと連立を組んだことで、10年間活躍の場を失っていたヤダブ(牛乳屋のカーストでマフィア)たちが復権のチャンスだと立ち上がったこと
③そして、イスラム教徒の人々が、アンチBJPとしてRJDに投票したこと(ヒンドゥットゥバ政策に対する反発。ビーフ問題の事件も影響)
これらの要因がJDUとRJD連合の勝利につながったと思います。
*①、②、③の詳細は後半をご覧下さい

<今後のビハール州の変化の予想>
JDUに対しては10年間州政府の中心としてビハールを地獄の暗黒時代から平和な天国へ変えて来た実績から、定評があります。
しかし、熱狂的なモディ人気に対して、対抗するため、RJDと連立を組みました。
この連立は、都会の知識層にとっては、Nitishが選挙に勝つために悪魔に魂を売ったような印象を与えました。
なぜなら、RJDが州の政権を握っていた時代を暗黒時代と誰もが言うくらい、その時代は地獄のような社会だったからです。
RJDの党首Lalu Yadav Prasadは90年から97年まで州知事、97年から2005年まではラブリ婦人を州知事にしましたが実質影の州知事でした。この90年から2005年の15年間をビハールの暗黒時代と呼びます。
Laluは徹底した衆愚政治を行い、教育機関をほとんど機能しないようにし、各地の学校はほとんど閉鎖状態にし、牛乳の搾り方の学校を各地に作りました。
Laluのカーストである牛乳屋カースト・ヤダブたちは権力を利用してマフィア化し、一族が私腹を肥やすことに努力しました。
マオイストのゲリラと相互関係を築き、恐怖政治に使いました。警察が捕まえたゲリラを電話一本で釈放させ、選挙の度に、反対派が多い地域の投票所を襲撃させました。
Laluの時代は、マフィアとゲリラが支配する恐怖の時代でした。
Lalu本人は汚職事件や様々な事件で有罪判決を受けており、知事になることは法律上出来ません。しかし、彼の息子二人は州議員に当選しました。
予想では、Laluの代わりに、息子の一人が副知事に就任するだろうと言われています。

その時代を知る世代は、Nitish知事を信用しながらも、少なからず不安を感じています。
Laluは権力の使い方をよくよく知っているので、Nitish知事がどれだけLaluを押さえ込み暴れないようにコントロール出来るか、にビハール州の未来はかかっていると地元の人々は話しています。
Nitish知事が警察や官僚たちをしっかり管理して、マフィアやゲリラが復活しないように頑張っていただくしかないです。
Nitish知事もこの10年の間にゲリラを徹底的に排撃して、地獄を天国に変えた人ですので、もしLaluが変な動きを始めたら連立解消するなど、政治家としての力を発揮すると思います。Laluを押さえることが出来る可能性もあります。
Laluは鉄道大臣時代に国鉄を赤字から黒字に変えた実績があります。
Laluは頭のいい人ですので、いい方向にNitishが使えば州の発展に貢献してくれるかも知れません。
今後のビハール州の行き先は、Nitish知事の力量にかかっています。


<①、②、③詳細>
①Nitish知事のJDU政権の貢献
Nitish知事はビハール州の州知事に就任してから、まず、マオイストのゲリラ(ナクサリライト)の徹底掃討作戦を実行しました。
ゲリラと見なしたら出会いがしらに撃ち殺すという方法で、州の隅々までゲリラを排除しました。
昔はゲリラやマフィアが強盗・恐喝を頻繁に行っていたので、夜間の外出は危険で困難な状況でした。Nitish知事の州政府になってからは真夜中でも車の移動が可能になりました。今は大変平和になりました。
また、昔は頭に枕を乗せて車に乗ったほど、でこぼこがひどい道路でした。Nitish知事の州政府になってからは、耐久性のある丈夫な道路が地方の村々まで舗装され、大変便利になりました。
Nitish知事は政府の学校を活性化し、教師の試験に力を入れるなど教育事業推進に努力して来ました。特に女性の教育促進にも力を入れて来ました。政府の学校に通う女子生徒に自転車を与える運動により、田舎の女子の就学率がぐんと上がりました。
低カーストの貧困層や、特に妊婦と乳幼児とその母親たちに対して定期的に配給を行っています。
暗黒時代を牛耳っていたヤダブたちの力を弱らせるため、JDUは最低カーストであるハリジャン(ダリット)の優遇政策を取って来たので、特に地方の田舎のダリットたちはJDU支持者が多くなりました。ダリットたちは大学の入学もハードルが低く、優先されます。
(BJPは、指定カーストに対する大学入学・公務員試験優遇政策(リザベーション)の廃止を訴えていました。BJPはその反発を受けた可能性もあります。
また、BJPは選挙中、JDUの実績に対して批判するとき、2013年にJDUが連立解消するまで一緒に州政府として仕事をしていたので、自分自身の実績を批判しているような感じを受けました。)

②RJDと連立を組んだ影響
マハーガトバンダンは主にJDUとRJDとCongressの連合のことです。Congressはあまり大きな印象はありませんが、RJDと連合を組んだことは今回の選挙の一番の論争の焦点になっていました。マフィアの大ボスであり、ゲリラの保護者であるLalu元州知事の政党がRJDで、Nitish知事はそのマフィアとゲリラを徹底して排除して来たので、これまでの最大の敵と組んだ、という大きな驚きを人々に与えました。Nitish知事の支持者であった人も、Laluと組んだことで失望した、と言う人もいました。まさに敵の敵は味方というやり方です。
この10年間、JDUとBJPのNDA政権の下、力を奪われ、おとなしくなっていたRJDのヤダブ・カーストの人たちは、呪縛から解き放たれたように元気を盛り返しました。
表向きはRJD支持者はNitishを持ち上げJDUと協力していますが、ヤダブ出身のマフィアは復活を望んでいるでしょうし、田舎に潜むゲリラとつながる人々はLaluが再びゲリラに力を与えることを期待しているものと思われます。

③イスラム教徒の票
イスラム教徒は今回の選挙で大変大きな影響を与えたと思われます。イスラム教徒たちは団結力が強く、いつも選挙では一定の方向に投票する傾向があります。指定カーストの人々と似た状況ですが、自分たちが得する政策をする政党を支持します。毎回、その時の状況によって支持する政党が違います。
今回の選挙では、RJDやJDUに投票する流れが出たようです。
JDUは票稼ぎのため、これまで低カーストへの優遇政策と同様に、イスラム教徒への優遇政策も行って来ました。ガヤ空港をメッカ巡礼のための空港に指定し、巡礼の費用も一部州政府が負担しているそうです。
また、選挙期間中に牛やビーフに関する事件がいくつかインドで起こりました。大きなニュースはダドリー事件です。UPのダドリーという村で、イスラム教のお祭り「バクリッド」の日、イスラム教徒の男性がヒンドゥ教徒の村人たちにリンチに遭い、殺害されました。バクリッドは主にヤギカレーを食べるお祭りですが、その男性の家では牛を殺してビーフカレーを食べている、という噂が出て、その村のヒンドゥ教の寺院で男性の襲撃が決定されたのだそうです。殺害された男性の家の冷蔵庫にあったカレーの肉を検査したところ、ヤギ肉であったことが証明されました。殺害された男性の息子は軍隊に勤めており、残った家族は軍が保護しています。
このビーフに関する事件の背景には、BJPが推進しているヒンドゥットゥバ運動があります。ヒンドゥ教の思想や儀式をもっと大切にしよう、という運動です。その中で出てきた政策案が牛の屠殺禁止、ビーフの流通禁止です。イスラム教徒はビーフを食べる習慣があるので、この政策には反対しています。
このビーフ騒動の後、BJPは牛を抱きしめている女性の写真を宣伝に使ったりしました。ヒンドゥ教徒に対して共感を得ようとしたのかも知れませんが、イスラム教徒の反感を買ってしまった感じがします。
このビーフ問題に象徴されるヒンドゥットゥバ運動に対する反発が今回の選挙のイスラム教徒票の流れを方向付けた印象があります。


2015年11月6日金曜日

ブッダガヤ母子保健プロジェクト 訪問する村が2ヶ所になりました!

Sep. & Oct. 2015 Mothers & Infants Health Care Project
ブッダガヤ母子保健プロジェクトは妊婦と新生児の健康向上を目的として活動しています。

2015年9月から訪問する村を2ヶ所にしました。妊婦と新生児の健康相談、妊婦の体重測定と血圧測定、新生児から一歳未満の乳児の体重・身長測定、母親達への衛生教育・育児指導を行っています。
毎月の体重・身長測定を通して、栄養が足りているか、どこか病気ではないかなど、新生児や乳児の健康状態を母親に意識してもらうのが目的です。

  


様々な村をリサーチし、特に貧困レベルが高く、新生児が多い村を選びました。

村には政府が契約しているアンガンワリという女性がいます。

アンガンワリの仕事:
政府が支給している食料で定期的に妊婦や新生児の母子に対して食事を提供。
妊婦の出産の際に病院に行くように説得。また、病院に連れていく。
予防接種の呼びかけと実施。

私達は村での活動は、彼女たちの協力を得て行っています。

アーシャという村の産婆さんにも村の女性たちの出産の状況について聞いています。

以前に比べると、州政府が奨励しているからですが、病院での出産がかなり増えて来ました。
しかし、まだまだ昔ながらの方法で自宅出産をする人もいます。

病院で出産すると、産婦も、連れて行った人も奨励金がもらえます。
出生時の体重など、出産の記録などが書かれる母子手帳(冊子にはなっておらず、折りたたんだ地図のような紙)がもらえます。

妊婦で出産が間近な人に質問してみると、病院での出産は気が進まないと言っていました。
病院だとすぐに帝王切開される気がして怖いのだそうです。

自宅での出産は何もなければいいのですが、もし何か異常があり、すぐに処置しなくてはならない場合、間に合わない、と説明し、病院ならすぐに対応出来ると、病院での出産をお勧めしました。

乳児や幼児で気になったのは、皮膚病です。

貧しい村は生活用水の水質が悪く、また水路が整っていないせいであちこちに不衛生な水溜りが出来、ばい菌が繁殖しやすい状況にあります。

無料で治療してくれるクリニックを紹介していますが、村の女性はなかなか病院に行きません。

いつかは村に定期的に医師・薬剤師を呼んで巡回診療が出来ればいいなと考えています。

村の女性たちや子供達が健康で元気に生活出来るよう、お母さんたちの教育に力を入れてまいります。

インド人の皆さんは涼しくなった、と言う30度から35度の気温の中3時間ほどいるのは、日本人としては結構しんどいです。しかも村人や子供達が取り囲むので風が通らずサウナ状態です。村にはトイレがないので水を飲むのを控えていたらふらふらになります。自分の一歳の乳児も村に連れて来ています。私が仕事している間、バッファローとヤギの横で遊んでいました。(スタッフがついてくれています)丈夫に育ちそうです。

  


  








2015年2月27日金曜日

クリケット選手を目指す卒業生

スーリヤ校卒業生でクリケット選手を目指してトレーニングを頑張っている子が、「自分のチームがリーグで優勝した」と、そのことが載った記事の切り抜きを持って来てくれた。胸ポケットから大事そうに、小さく折りたたんだ切り抜きを出して広げて見せてくれた。

憧れのドニ(有名なクリケット選手)が、アカデミーに遊びに来たそうで、すぐ近くで見たとうれしそうに語った。でも、彼の携帯はカメラがついていないので、写真は取れなかったそうだ。「私はドニと同じ飛行機に乗っていて、空港で握手してもらったよ。」と言うと、すごい!と感激していた。

背は高いけど、やっぱり今でも細いので、ちゃんと食べてるのか聞いたら、トレーニングの時間と食事のタイミングが合わなくて、なかなか食べられないらしい。もともとベジタリアンだったけど、トレーニングを受けると決まってから、せめて卵を食べるように約束した。活躍しているけど、健康が心配。

将来のこととか、いつまでトレーニングを続けるかとか、現実的な話もしたいけど、瞳に☆がキラキラしているから、やっぱり応援してしまう。

この子に出会って、もう15年ほどになる。「マー(お母さん)」と呼んでくれる。ほんと、子供のような感覚。

行けるところまで頑張ってほしい。

2015年1月26日月曜日

インド生活、再スタート!村の新生児や子供たちの健康調査

6ヶ月になった次女を連れ、先月、インドに戻ってまいりました。

戻ってからというもの、毎日イベント盛りだくさんで、インドを離れていた間にたまっていた仕事に追われております。

今日はブッダガヤから10キロ離れたところにある村と8キロ離れたところにある村を訪問し、新生児や子供たちの健康状態のリサーチをして来ました。

最初に訪れた村はハリジャンコロニーで、最下層カーストの村です。

母子保健プロジェクトでお手伝いいただいているレイカ先生に引率してもらいました。

村の入り口で車を降りて歩き出すと、外国人が珍しいのか、すぐに村人たちが集まってくれました。

一ヶ月くらいと思われる新生児を抱いているお祖母さんに「この赤ちゃんは何ヶ月ですか?」と質問したところ、なんと6ヶ月でした。

私が抱えている次女は7ヶ月になったところです。すぐ横で比べてみると大きさが1.5倍ほど違いました。次女が生まれてすぐの頃より小さく思えました。

他の赤ちゃんたちも月例を聞いてみると驚くほど体が小さく思えました。

貧しい村では成人した大人もとても小柄なので、元々の骨格が違うのかも知れませんが、それにしても赤ちゃんたちは栄養状態が非常に悪いようでした。

幼児も手足が細く、ハナをたらしている子供たちも多く、中には異様に頬がこけている子もいて、明らかに栄養失調の状態でした。

この村の子供たちや母親たちには助けが必要だと思いました。

しかし、問題がひとつ。この村を管轄する役場はブッダガヤの役場ではないのです。

ブッダガヤの役場はいつもやり取りをしていて協力をいただいているのですが、この村を管轄する役場はブッダガヤから大変遠い場所にあり、これまで交渉したことがありません。新しい挑戦になります。

州政府は貧しい人たち、特に代々差別を受けて来た低カーストの人たちのために、様々な支援をしています。

その一つがアンガーンワリの仕事で、その地域ごとに貧しい母子の健康のため、栄養食を配布したり、予防接種を受けさせるなどの仕事をしています。

しかし、その役割がうまく機能していない地域があるのです。貧しい人たちにどういう支援が受けられるのかを理解してもらい、アンガーンワリと協力して政府の支援が届くよう私たちはお手伝いしています。

そして、もう一箇所ブッダガヤから8キロ離れた村も訪問しました。村を一周しましたが、新生児は少なく、幼児がたくさんいました。

日が暮れてしまったので、いったん引き上げることにしました。

この村の周りにももっと貧しい村があるので、次回はそちらを訪問することにしました。