数日前、母子保健プロジェクトの仕事で村へ車で向かっている時でした。
プロジェクトにいつも参加してくれているバビータ先生が質問してくれました。
アジャイはバビータ先生の住んでいる村の隣の村に住む、スーリヤ校第一期卒業生でした。(2012年4月卒業)
「心のきれいな人は神様が早く天国に呼んでしまうんでしょうか?まだ小さい子供がいて、奥さんのお腹にも赤ちゃんがいるらしいんですよ。かわいそうに、、、」
バビータ先生は知っている情報を教えてくださいました。
工事現場で働いていて、感電してしまったそうです。
母子保健プロジェクトの仕事をしながら、いつも通り平静を装い、村の女性たちと会話していましたが、頭の中はアジャイのことがグルグル回っていました。
その話を聞いた夕方、隣の州で下宿しているビクラムが会いに来てくれました。
お祭りでもないのに、どうしたのかと思ったら、アジャイの家にお悔やみを言いに一日だけ急遽戻って来たのだそうです。ビクラムはアジャイと同じ第一期卒業生です。
私たちは顔を見るなり、アジャイのことをお互いに話し出しました。
ビクラムはアジャイの家に行って聞いてきたことを色々話してくれました。
アジャイは、現場監督が感電したところに、偶然接触して感電してしまったそうです。
現場監督はすぐに病院に運ばれましたが、アジャイは4時間ほどその場に放置されていたそうです。同じ村の出身者が工事現場におらず、家族にも連絡が出来なかったそうです。
事故から約4時間後、村の知り合いが車で病院のあるガヤ街まで搬送してくれたそうですが、途中でアジャイは息絶えてしまったそうです。
「アジャイには1歳半くらいの女の赤ちゃんがいます」
ビクラムは、アジャイの子はちょうど私の末娘と同じくらいだ、と言いました。
同じ第一期卒業生たちのほとんどがアジャイの家に集まってアジャイにお別れをしたそうです。
「マダム、、、、僕は後悔しているんです。つい一ヶ月ほど前、村でアジャイに会った時に、大学2年まで教育を受けたのに、ずっと労働者でいいのか、マダムのホテルで働いたらどうだ、って言っていたんです。今度塾が休みになったら、一緒に行って、マダムと社長に頼んであげる、って、話していたんです。僕がもっと早くホテルにアジャイを連れて来たら、、、アジャイがこっちで仕事をしていたら、、、あんな事故で死ななくて良かったのに、、、、。アジャイのお母さんは早くに死んで、だから、アジャイは早くに結婚させられた。結婚していなかったら、僕のようにまだ大学生だったかも知れない。」とビクラムは言いました。
私は胸が痛くなりました。アジャイの運命を方向づけたのは自分なのではないか、そんな思いが浮かびました。村の幼児婚の習慣を止めるため、法律で定められた結婚年齢まで結婚しないよう、いつも生徒たちに私は言っていました。そして、卒業前に結婚していたアジャイを、大学進学の奨学生には入れませんでした。そしてアジャイは工事現場で労働をすることになったのです。
私はその翌日、校長先生とレイカ先生、マドゥ先生と一緒にアジャイの家を訪問しました。
アジャイの家は、私達夫婦が2001年に学校を開校した建物から、池を挟んでちょうど裏側にありました。私たちがそちらへ向かっていると、私達を見て、手で顔を覆って泣き出した老人がいました。アジャイのお父さんでした。
お父さんが家へ案内してくれました。レンガ作りの素朴な、3畳ほどの小さな家です。お父さんが指し示した家の中には、膝を抱えてうずくまっている女性がいました。アジャイの奥さんです。
私が近づいて声をかけると、ワーッと大きな声で泣き出しました。私はかける言葉がなくて、ただただ背中をさすっていました。
年配の女性が赤ちゃんを抱っこして来ました。確かに私の末娘と同じくらいです。
「アジャイの娘さんですか?あなたはアジャイのお母さんですか?」と私は聞きました。
「私はこの娘(アジャイの奥さん)の母親です。アジャイの母親はアジャイが赤ちゃんのころに亡くなっています。」とその女性は答えました。
アジャイの赤ちゃんの名前を聞くと、「アルカです。」とお義母さんが答えました。
「偶然ですね。私の主人の妹も同じ名前です。」と私が言うと、「偶然じゃありません。アジャイはこの子に、その妹さんのようになってほしいと、名づけたんです。いつもスーリヤ校のことやマダムのことを話していたんですよ。」と言われました。私は胸がしめつけられるような感じがして、涙を必死で我慢しました。母親を早くに亡くしたアジャイは私のことを母親のように親しく感じていたのかも知れない。でも、私はアジャイを大勢の生徒の中の一人としてしか接していませんでした。
レイカ先生が「ちゃんとご飯を食べていますか?お腹に赤ちゃんがいるんでしょ?自分のためじゃなくて、赤ちゃんのために食べないとだめよ。」とアジャイの奥さんに声をかけました。
アジャイのお義母さんは「あれから全然食べないんです。この子(赤ちゃん)が熱を出しているのに、立ち上がることも出来ないから、私が医者に見せに行きました。」と言いました。
「もしかするとアジャイの魂が赤ちゃんに入って生まれてくるかも知れませんよ。大事にしてあげて。」というレイカ先生の言葉に、お父さんは驚いてまた泣き出しました。
お腹に赤ちゃんがいること、お父さんは知らなかったようでした。
「アジャイが4ヶ月の時、母親は病気で死んでしまいました。私は長男とアジャイを一人で育てたんです。」とお父さんは言いました。
まだ泣き続けているアジャイの奥さんに私は言いました。
「アジャイの子供二人は大きくなったらスーリヤ校に入学させましょう。あなたにも何か仕事をあげます。」
すると、アジャイのお義母さんは、「この娘は大学2年まで出ています。」と言いました。アジャイが結婚したのはスーリヤ校在校中でした。田舎の習慣で親どうしが早くに結婚させました。結婚してからもお互いに実家で学業を続けていました。アジャイはいつも電話で、「お義母さん、勉強は好きなだけ続けさせてあげてください。途中で止めさせないでください。」と言っていたそうです。
アジャイ自身、スーリヤ校卒業後、労働者として働きながら、大学2年生まで勉強し、奥さんの勉強も経済的にサポートしていたそうです。
「現場監督の巻き添えだそうですが、工事現場の社長は何か補償はくれるのですか?」と聞くと、
「お葬式の日はお金をあげる、と言っていました。でも、お葬式の翌日に一変して、お金を要求するなら、裁判しろ、と言われました。」とお父さんが答えました。裁判にはお金が大変かかります。アジャイの家にはそんな余裕はなさそうです。それがわかっていてその現場の社長は裁判しようと言ったのでしょう。
帰り際、近所のアジャイの友人がいろいろ話してくれました。
アジャイがスーリヤ校に通っていたころ、いつも朝、家族の朝ごはんを作ってから学校へ行き、学校から帰ったら畑仕事をして家族の夜ご飯も作っていたそうです。近所で人不足で困っていたら、自分の収入にはならないのに農作業を手伝ってくれたそうです。村で誰か病人が出たら、いつもアジャイが病院に連れて行ってくれたそうです。
子供が生まれてから、家族のために稼がなくてはと、農業だけでなく、工事現場で働くようになったそうです。最初はレンガやセメントを運ぶ労働でしたが、左官工事を手伝っている内に仕事を覚え、最近は職人として日給400Rs.ほど稼いでいたそうです。そんな矢先の事故でした。
「アジャイは子供のころ、友達に棒でたたかれました。でも、その友達をかばって、たたかれていない、と言うような、とても優しい子でした。」帰り道、校長先生はアジャイのエピソードを思い出し、いろいろ話してくれました。
私はアジャイの写真を探しました。いい写真があればご家族にあげようと、、、。写真の中でアジャイはいつも後ろのほうにいました。どの写真もほとんどが端っこかみんなの後ろです。彼らしい、控えめな性格がよく出ています。卒業式の記念写真では私の後ろにいました。
アジャイに、「奥さんと子供のことは任せて。安心して天国で待っていて。」と私は心の中で言いました。
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