実は今、日本にいます。
網膜剥離と髄膜炎で日本の病院で入院しています。
原田病だそうです。
幸いにも失明は免れ、髄膜炎も治ってきています。
新型コロナウイルスの影響で、インドは段階的にアンロックしていますが、特にビハール州はまだロックダウンの最中です。
その中での緊急帰国、どうかお許しください。
長女が私の様子があまりにも酷いので、どうしても日本で治療する方がいいと、背中を押してくれました。
最初に予約した飛行機はキャンセルで、JALの日本人救済便で帰国することが出来ました。
羽田空港でコロナの抗体検査を受け、陰性で、入国出来ました。
病院でもさらにPCR検査を受け、陰性で入院することが出来ました。
インド脱出の様子と、闘病生活をブログでお伝えしたいと思います。
同じような症状の方に、少しでも参考になれば幸いです。
日本に住む長男がパソコンのフォントを大きくしてくれました。
現在は視力もだいぶ回復しております。
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視界10% インド脱出
インド3月からロックダウン
オンラインクラス・スタート(7クラス担当)
ロックダウン生活
洗濯・パソコン業務・会議・授業(または次女のオンラインクラス)・昼食調理・授業・授業・技能実習生相談・洗濯取り込み・授業・夕食調理・パソコン業務
6月〜8月 生理が止まらない。初めてのすごい量の出血。
地元のクリニックで止血剤と鉄剤を処方してもらう。
それでも出血が止まらないので、8月22日頃、産婦人科で診察、
止血剤や栄養剤・鉄剤をもらう。飲んで1日で出血が止まる。
翌日、朝から急に視野がぼやける。頭痛がひどくなる。
一週間経ってもどんどん視力が低下。
眼科で診察を受けて、感染症か老眼だろうと言われ、
抗生物質とビタミン剤を処方される。
9月初旬、視力がどんどん低下。
部屋が暗い。パソコン画面が見づらい。
頭痛がひどくなり、授業を休む。
9月12日、人間の顔が小さく、歪んで見える。ピカソの絵。
右目がほとんど見えない。左目はかすかに見える。
長女が日本の病院に行くように勧める。
飛行機を予約してくれた。アムステルダム経由の関空行き。
13日、パトナへ主人が送ってくれた。インディゴでデリーへ。
パトナ空港の中、レイアウトが変わっていて表示も読めず、慌てた。
フェイスシールドとマスク配布。
デリーに到着し、ゲート出口でスタッフに
「目が見えません。助けてください。」とお願い。
車椅子を出してくれた。国際線チェックインへ車椅子で移動。
チェックインに時間がかかり、結局、アムステルダムまではコンファームが取れているが、アムステルダムから関空への飛行機が支払いエラーになっていた。
長女に連絡し、何度もやり直したり、別の飛行機を調べたりしてもらった。
主人の弟のカードでも試してもらったが予約できなかった。(後でわかったが、関空行きの飛行機が今月中キャンセルになっていたらしい。)
夜中2時にカウンターがシャットダウン。
車椅子で空港外まで出される。
外の車は危険なので、下の階のプリペイドのタクシーを予約。
レモンツリーホテルまで頼んでいるのに、そういうホテルはコロナの陰性証明書がないと宿泊許可されない、などなどうんちくを言って、安くて安全なホテルの知り合いがいるから、と言われ、空港のプリペイドタクシーだから、犯罪行為は滅多にしないだろうと思い、信頼することに。
タクシーの運転手はヒゲの感じからムスリム。
タクシーの予約表を写メで主人や娘に送る。
運転手がヒソヒソ電話で話していた。
「1万ルピーくらいは取れるんじゃないか。」と言っていた。
「うわ!ぼられるな。」
タクシーが止まった場所は空港近くの下町。
ごちゃごちゃ並んだ建物のうち、ホテルの看板がある建物へ案内される。
工事中だった。
一泊1万6千ルピーと言われるので、高すぎる、違うところ探す、と強気で言う。
すると、9600円まで値下げしてくれた。(6400ルピーくらい)
それでも高すぎだが、夜中3時にどうしようもないので、了解した。
すると、ホテルスタッフがこちらへと、ホテルの外へ。
本館が工事中だから、何件か隣のホテルを案内するという。
ついていくと、ただの雑居ビル。
小さなホテルの看板は付いているが、ただ狭いビルの真ん中に階段があるだけ。
目が悪いことに気づかれないよう、大胆な足取りで階段を上る。
小さなカウンターがあり、そこから屋上へ案内された。
ホテルの名前は「ラグジャリーホテル」。
屋上に無理やり作られた一部屋。
施錠を確認し、宿泊を決意。
ボーイさんがエアコンをつけてくれたが、ほとんど効かなかった。
虫やヤモリがいないか気になりつつ、疲れていたためそれでも寝られた。
頼んでいた朝ご飯は、トーストバタージャムとオムレツとコーヒー。
運ばれて来たのはパラターとアチャールとコーヒー。
仕方がない。
主人がNさんに連絡してくれて、Nさんが日本帰国予定のYさんに連絡してくださり、飛行機の情報を教えてくださった。
早速予約しようと思ったが、私のインド携帯では国際電話がかけられないので、日本の家族に連絡。
長男が電話やネットで予約してくれ、父が飛行機代を振り込んでくれた。感謝。
主人の弟が本物のレモンツリーホテルを予約してくれた。
午後から移動。主人がホテルにコンプレイン。
ホテル側が無料でレモンツリーホテルまで送ると約束。
実際には、元の運転手を呼び、料金は私が支払った。
体調が悪い時にもめたくないので、そのまま。
本物のレモンツリーに到着。
チェックインの用紙が全く読めない。
大きな虫眼鏡の、超拡大部分を当てても、後半の細かい文字が全く読めない。
仕方なく受付のスタッフに読んでもらう。
部屋のキーを渡されたが、コロナのせいか、スーツケースがなかったせいか、案内係は来なかった。
一人でエレベーターで移動。
そこから部屋を探すのに一苦労。
表示板や部屋の番号を虫眼鏡で見るのだが、肝心な真ん中部分がグレイ色で消えている。
何人かの清掃スタッフに部屋を聞きながら行くと、廊下の奥の右の奥の一番遠い部屋だった。
綺麗で清潔で安心。緊張が一気に解けた。
主人と弟ラジーブに感謝。
食事はルームサービスで。毎回電話での注文が大変だった。
目が悪いという説明を毎回しなくてはならなかった。
(誰かメモしてくれ)でも美味しかった。
ラジーブの友人シャンブーさんが頭痛薬を買って届けてくれた。
大変助かった。
インドの頭痛薬は効き始めるのに時間がかかるが4〜5時間効く。
日本の頭痛薬は即効で聞き始めるが3時間ほどで痛みが戻ってくる。
痛み止めなしで動けない状態。
携帯で連絡を取ろうとするが、虫眼鏡でもよく見えない。
一生懸命見ようと右目で超拡大部分で文字を凝視すると、
ブチブチッという音がした気がして、
その部分が丸くグレイになり、余計に見えなくなった。
ホテルに3日ほど滞在し、いよいよ出発の日。
ロビーでシャンブーさんを待つ。
声からは30代の太い人を想像していたが、若くて背の高い細身の青年だった。
綺麗な奥さんと一緒に来てくださった。
チェックアウトをお手伝いくださり、タクシーで空港まで送ってくださった。
空港の入り口でYさんと待ち合わせ。
連絡するとすぐ近くにいらっしゃった。(私は見えていなかった)
シャンブーさんご夫妻とお別れ。感謝。
Yさんと空港内へ。カウンターで早速車椅子をお願いする。
車椅子を押してくれるスタッフと話す。
コロナの影響で、労働時間は同じなのに、給料が半分カットされたと言っていた。
こちらの状況(ロックダウンで半年ホテルも教室もほとんど収入無し。
検疫センターに指定されたから休んでいたスタッフを呼び戻し、受け入れ準備した。
しかし、検疫の客はほとんど来ない。
50名ほどの従業員の給料は最低限出している。)を話すと、
ちょっと同情してくれたのか、最後までチップを要求されなかった。
続く
うわ−、大変でしたね。
返信削除今は回復されたようで何よりです。
ありがとうございます!
削除ブログを読ませていただいて詳細をしり、改めて如さんの強さに敬服しています。護られておられるので恙無く回復されると確信しています。
返信削除ありがとうございます〜!すごいスピードで回復してきております!ただ、ぶり返す可能性や、薬の副作用がありますので、ゆっくりしっかり療養いたします。ご心配おかけしてすみません。
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