2020年9月29日火曜日
家族の愛と生徒・友人たちの祈り
2020年9月27日日曜日
日本で緊急入院!網膜剥離と髄膜炎(原田病)
羽田空港から京都の実家までYさんに車で送っていただいた。
時々痛み止めを飲みながら、いろいろ話していたが、
頭痛のためちゃんと話せていたかわからない。
夕方4時頃、自宅到着。
母が池のところまで走って迎えに来てくれた。
寝たきりの祖母に挨拶をしたかったが、
何か病気を移してはいけないので我慢。
夕方、シャワーを浴びると急に眠気に襲われ、ベッドにダウン。
しばらく寝ていたようだが、手足の力が抜け、真っ白。
手が震え、気分が悪くなり、必死で居間へ。
たぶん低血糖を起こした。
(髄膜炎のせいだったかも知れない)
夜中のテレビのような感じザーザー。
ひどい耳鳴り。頭が割れそうだった。
頭の中が工事現場。
頭のCPUがシャットダウンしそうな感じ。
夕食を何とか食べて、しばらくしたら落ち着いた。
今朝、インドの糖尿の薬を飲んで、お昼にうどんを食べて
それきり食事をしていなかったので、低血糖を起こしたのだと思う。
実は低血糖のほうがすぐに命を落とす危険がある。
お花畑が見えかけていた。
頭痛薬でごまかしつつ、両手で頭を抱えて朝まで痛みを我慢。
一睡もできなかった。
翌朝、自宅から1時間ほどの大きな病院へ。
父がそこの眼科がいいからと勧めてくれた。
初診受付で症状を説明すると、
眼科と皮膚科と総合内科の診察を受けることになった。
(頭皮と耳が非常にかゆくて湿疹ができたいたので、
ヘルペスかと思っていた。)
それぞれの科に問診票を提出。
検査があるので眼科からスタート。
視力検査。虹彩を広げる薬を点眼。
次第に暗かった映像が少し明るくなる。
しばらく待って目の中の撮影や測定。
2時間ほど待ち、初診の医師の診察。
診察は1分ほどで、
「原田病で間違い無いと思います。」と診断された。
「網膜剥離と髄膜炎が起こっています。
メラニン色素を敵だと思って攻撃するアレルギー反応で、
メラニンがある部分が炎症を起こしています。
髄膜にはメラニンがたくさんあるんです。
すぐに入院しましょう。」とのことだった。
老眼になったとばかり思っていたので、網膜剥離と聞き、正直驚いた。
確かにこれだけ見えなくなるとは、老眼とは恐ろしいものだと思っていた。
もともと視力は2.0か1.5だったので、
普段の10%も見えておらず、とても不安になった。
老眼や視力の悪い人たちの気持ちが初めて分かった。
入院する前に、さらにPCR検査を受けた。2時間ほどかかった。
陰性で、すぐに入院手続きに入った。
入院病棟の部屋のベッドで、背骨から髄液を抜いて検査。
横向きに膝を抱えて丸くなる。
麻酔が結構痛い。
その後の髄液を抜く時、ぐいぐいと圧迫感。
初めてです、と伝えたけど、その時思い出した。
確か、次女の帝王切開の時の部分麻酔の時も
こんなだったんじゃないかな。
担当医の医師にこれまでの病歴を聞かれたが、
頭が痛すぎて、よく思い出せない。
その夜、頭痛薬とアイスノンで翌朝まで耐えた。
本来なら、網膜の血管などもっと詳しく調べるため、
造影検査をしなくてはならない。
しかし、私は甲殻類のアレルギーがあるので、
造影剤にアレルギー反応を起こすかも知れない。
それで、造影検査はしないことになった。
翌日、昼頃、早速ステロイド点滴治療が始まった。
続く。
2020年9月26日土曜日
JALでインド脱出・日本緊急帰国 空港でコロナ抗体検査
車椅子で飛行機入り口まで移動。
月に2、3便のJAL臨時便がデリーから羽田へ出ている。
運良く予約できて助かった。
ほとんど見えなくなった目と、死にそうなほどの頭痛と耳鳴り。
まさか、網膜剥離と髄膜炎になっているとは、、、。
もし臨時便が出ていなかったらどうなっていたか、、、。
満席で乗れなかったら、、、。
考えると冷や汗が出る。
JALに搭乗すると
「みなさん、お帰りなさい」
とのアナウンス。
もうここから日本なんだと感じて泣きそう。
トイレが後方になくて探した。
機内食、魚の丼。まずお蕎麦から。
一口目で思いっきりわさびだったらしく、頭激痛、涙。
目が見えないと色々大変。
久々の日本食、美味しかった。
目が悪いのと頭痛で映画を見る余裕無し。
せめて音楽を聴こうと画面を触るが表示が読めず
虫眼鏡と勘で洋楽ヒットのDJをかけることができた。
横のシートが全部空いていたはずが、
食事が終わって横を見るとインド人のおっさんが寝転んでいた。
しかも、途中から足をこちらに向けて。
足の臭いが臭くてたまらなかった。
頭痛で一睡もできず。
朝食に軽食が出た。
羽田空港に到着して、早速車椅子で移動。
ぐるぐる廊下を移動。
空港の端から端までという感じ。
羽田空港、こんなに広かったのかと驚いた。
日本人の女性空港スタッフさんがずっと車椅子を押してくださった。
感謝。
唾によるコロナウイルスの抗体検査を受ける。
早朝(インドは夜中の時間)だったので唾をためるのに時間かかった。
梅干しとレモンのポスターが貼ってあった。
2時間ほど結果が出るのにかかると聞いていたが、
車椅子だからか、30分ほどで結果が出た。
結果は陰性。
同行してくださっているYさんも陰性で、すぐに空港を出られた。
何度も移動方法を確認された。
(海外からの帰国者は、公共の交通機関の使用が出来ない。
また、自宅やホテルで2週間の隔離生活をする。
私の場合、容体が急を要したので、緊急で翌日病院へ。)
ゲート出口でYさんのお父様がお出迎えくださった。
Yさんの車を持ってきてくださった。
「大変ですね。でも、奇跡を起こしていつか奇跡の映画に出られたらいいですね。」
と励ましていただいた。
Yさんの運転で京都の実家前まで送っていただいた。感謝。
帰国のための飛行機がすぐに見つかり予約できたこと。
Yさんが同じ飛行機で付き添ってくださったこと。
Yさんは東京へ転勤だが、ご実家が関西で、
転勤前に実家に一度帰ることになっておられ、
京都の私の実家まで車で送ってもらえたこと。
まさに、一つ一つに奇跡が重なっていた。
実家に到着した夕方、これまでで一番体調が悪くなった。
続く。
2020年9月25日金曜日
インド脱出!視界10% 網膜剥離と髄膜炎で緊急入院しました!
実は今、日本にいます。
網膜剥離と髄膜炎で日本の病院で入院しています。
原田病だそうです。
幸いにも失明は免れ、髄膜炎も治ってきています。
新型コロナウイルスの影響で、インドは段階的にアンロックしていますが、特にビハール州はまだロックダウンの最中です。
その中での緊急帰国、どうかお許しください。
長女が私の様子があまりにも酷いので、どうしても日本で治療する方がいいと、背中を押してくれました。
最初に予約した飛行機はキャンセルで、JALの日本人救済便で帰国することが出来ました。
羽田空港でコロナの抗体検査を受け、陰性で、入国出来ました。
病院でもさらにPCR検査を受け、陰性で入院することが出来ました。
インド脱出の様子と、闘病生活をブログでお伝えしたいと思います。
同じような症状の方に、少しでも参考になれば幸いです。
日本に住む長男がパソコンのフォントを大きくしてくれました。
現在は視力もだいぶ回復しております。
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