*結婚後、だんなさんの名前は一生言わない。 <インド花嫁のオキテ>
結婚前は、欧米式に呼び捨てにしていただんなさんの名前。
結婚後も 同じように呼んでいたところ、周りにいた人たちは変な顔をします。
兄嫁さんたちに聞くと、結婚したらだんなさんの名前は決して口にしては いけないということでした。
先に教えて欲しかったと言ったら、 日本もそうだと思っていたそうです。
テレビもほとんど見ない兄嫁さんたち、 日本の文化が自分たちの文化とどう違うのかまだあまり知らないようでした。
数ヶ月後、日本大使館に行った時、だんなさんの名前を聞かれたのですが、 絶対一生言ってはいけないと言い聞かされていた私は言うことができませんでした。
それで代わりに名刺を見せて、これが主人の名前です、と言ったところ、 怪しまれてしまいました。
日本に里帰りをして、友達にだんなさんの名前 は?と聞かれた時、精神的ショックから声にできませんでした。
だんなさんは、「あなたは日本人だから日本にいる時や二人だけの時は 名前を言ってもいいよ」と言ってくれたのですが、兄嫁さんやお義母さん の真剣な言葉を思うとなかなか言えません。
少しずつリハビリ(練習)して、 ワンテンポおけば言えるようになりました。
もちろん、インド人の前では 今でも言いません。
代わりに「メレパティジー」(私のだんなさん)と 言います。
ところが、ある日デリーでアーユルベーダのエステを受けていた 時のことです。
エステティシャン二人といろいろ話をしていて、 「だんなさんの名前は?」と聞かれました。
「インドのしきたりだから 言えない」と言ったら、若いエステティシャンは、「そんなのがあるの?」 と年上の人に聞いたのです。
その年上のエステティシャンは「昔はそうだった のよ。今でも田舎では言わないけれど」と言うのです。
私は愕然としました。
日本人である私が必死で守っているのに、列記としたインド人であっても デリーのような都会に生まれ育った若い人は知らなかったのです。
それから友達になったデリーの人たちはやはりみんな平気でだんなさんの 名前を口にします。
ブッダガヤでは絶対できません。
インドはとても広くて たくさんの人種や宗教や文化があって、貧富や都会か田舎かの差が大きくて 、なんだか大昔と現代の時空が入り乱れて一緒に存在しているようです。
ちなみにインド人全般に言えることですが、年上の名前はできる限りいわず、 どこどこのおじさんとか、なになにちゃんのお父さん、という言い方をします。
結婚後女性は電話で自分の名前を名乗ってはいけません。
なになにちゃんの お姉さんです、と言います。(都会はもう変わっていますが。)
2013年9月15日日曜日
インド花嫁のオキテ
インド花嫁のオキテ
結婚式の後、私はインド人になりました。国籍はもちろん日本人のままだけれど、家族みんなからインド人として扱われました。赤ちゃんに一から教えるように、インド人はこうするんだよと教えてもらったのです。
前の日までパンジャビスーツでうろうろしていた日本人は、結婚式を境に、サリーを着たインド人になりました。
注)ここに挙げるオキテはブッダガヤの 中流家庭のものであり、インド全部に当てはまるわけではありません。
* 結婚後、だんなさんの名前は一生言わない。
* シンドゥールは毎朝必ずつける。
* マンガルスーツはだんなさんが生きている限りはずすべからず。
* チュリーをつけずに水も食事も取るべからず。
* 女性は最後に食べるべし。
* だんなさんのお兄さん、お父さんに顔を見せるべからず。 話してもいけない。
* だんなさんより年上の男性に顔を見せるべからず。
* 孫ができるくらいまで一人で一歩も家の外に出るべからず。
* 窓から外をのぞいてはいけない。
* 昼間は屋上に上がってはいけない。
* 年上の女性の前では頭をサリーで隠す。
* 年下でも若い男性の前では肩をサリーで隠す。
* 毎日サリーを着る。(毎日洗濯したもの)
* 花嫁は2~3年は赤いサリーを着る。
* 外出する時は、シンドゥール、マンガルスーツ、チュリー、ビンディー、 ピアス、指輪(アングッティ)、足の指輪(ビチヤ)、 アンクレット(パイヤル)、腕時計を忘れるべからず。
結婚式の後、私はインド人になりました。国籍はもちろん日本人のままだけれど、家族みんなからインド人として扱われました。赤ちゃんに一から教えるように、インド人はこうするんだよと教えてもらったのです。
前の日までパンジャビスーツでうろうろしていた日本人は、結婚式を境に、サリーを着たインド人になりました。
注)ここに挙げるオキテはブッダガヤの 中流家庭のものであり、インド全部に当てはまるわけではありません。
* 結婚後、だんなさんの名前は一生言わない。
* シンドゥールは毎朝必ずつける。
* マンガルスーツはだんなさんが生きている限りはずすべからず。
* チュリーをつけずに水も食事も取るべからず。
* 女性は最後に食べるべし。
* だんなさんのお兄さん、お父さんに顔を見せるべからず。 話してもいけない。
* だんなさんより年上の男性に顔を見せるべからず。
* 孫ができるくらいまで一人で一歩も家の外に出るべからず。
* 窓から外をのぞいてはいけない。
* 昼間は屋上に上がってはいけない。
* 年上の女性の前では頭をサリーで隠す。
* 年下でも若い男性の前では肩をサリーで隠す。
* 毎日サリーを着る。(毎日洗濯したもの)
* 花嫁は2~3年は赤いサリーを着る。
* 外出する時は、シンドゥール、マンガルスーツ、チュリー、ビンディー、 ピアス、指輪(アングッティ)、足の指輪(ビチヤ)、 アンクレット(パイヤル)、腕時計を忘れるべからず。
2013年9月11日水曜日
テロの思い出
実は、私自身がテロに巻き込まれたことはないのですが、家族の目の前でテロが起こったことがあります。
http://en.wikipedia.org/wiki/29_October_2005_Delhi_bombings
2005年10月、ディワリのお祭りのころ、デリーのサロジニナガルで爆発が起こりました。
当時、長男が5歳になり、デリーで幼稚園に入園させるため、デリーに住み始めたころでした。
その日、テレビでニュースを見ていて、ほぼライブでテロのニュースを見ました。
主人はディワリのお祭りのため、知り合いのガイド仲間とお酒を飲んでいました。
その場所が、テロが起こったサロジニナガルのすぐ近くだったのです。
慌てて主人に電話をかけましたが、携帯はスイッチオフになっていました。
その夜、主人にずっと電話をかけながら、翌朝まで一睡もせず安否を心配していました。
結局、翌朝10時ごろ、主人がひょっこり帰って来ました。
「携帯つながらなかったけど、テロ、大丈夫だった?」と聞くと、「ああ、テロだねえ。ごめん、保険屋がうるさく電話かけてきたから、携帯切ってた。」というのん気な主人の返事に拍子抜けしたのを覚えています。
お祭りだから、家族へのプレゼントを買いにサロジニナガルのマーケットに行っているんじゃないか、と心配した自分がバカらしく思えました。
http://en.wikipedia.org/wiki/13_September_2008_Delhi_bombings
2008年のデリーのテロでは、弟が間一髪で助かりました。
当時同居していた主人の末の弟ラジーブは、日本語の専門学校に通っていて、その日もコンノートプレイス近くの学校から帰宅途中、いつものようにメトロ(地下鉄)のほうへ歩いていました。
すると、突然、目の前で爆弾が爆発しました。
慌てて、走って行くと、その先でもまた爆弾が爆発しました。
そして、まだ動いていた地下鉄の電車に飛び乗って、命からがら家に戻りました。
電車の中で心臓がバクバクして、手の震えが止まらなかったそうです。
http://en.wikipedia.org/wiki/2008_Mumbai_attacks
ムンバイのテロの起こったタージホテルに、実はテロの起こる3ヶ月前に私たち夫婦は立ち寄っていました。
ムンバイの親戚の家に行って、途中お茶を飲みに立ち寄っただけでした。
お茶を飲みながら、「誰でもこんな高級ホテルに入れるし、目の前は海だし、海からテロリストかパキスタンの軍隊でも攻めてくるかも、、、。しかも、すぐ近くはムスリムがいっぱいいる町(テロリストの隠れ家になるという意味)だし、、、。」と考えながら、怖いな、と思っていました。
その3ヵ月後に、まさにその場所でテロが起こり、ニュースを見て背筋が凍る思いがしました。
テロが頻繁に起こっていたころ、買い物に行く時、娘がついていく、と言いました。私は「ニュース見たでしょ!バザール(マーケット)に行って爆弾が爆発したら死んじゃうから、家にいなさい。」と娘に言いました。
すると、娘は、「マミーもくうばあちゃんの子供やん。マミーも死んだらあかんやん。」と言いました。
眼からうろこでした。
自分は死んでもいいけど、子供は死なせたくない。
と思っていましたが、自分も母の子だった、という視点を娘は与えてくれました。
娘はそのころ、5歳くらいだったと思います。
インド人はテロが起こっても外出を控えたりしません。
すべての事象は、神様から与えられた自分の人生のストーリーに書かれていれば起こるし、書かれていなければ起こらない。
インド人は、スーパーポジティブ思考。
究極の天然のーてんきなのか、諸行無常を達観した不動の境地なのか、、、。
テロで犠牲になった場合、戦死したというような認識です。
テロが頻繁に起こっていたころ、買い物に行く時、娘がついていく、と言いました。私は「ニュース見たでしょ!バザール(マーケット)に行って爆弾が爆発したら死んじゃうから、家にいなさい。」と娘に言いました。
すると、娘は、「マミーもくうばあちゃんの子供やん。マミーも死んだらあかんやん。」と言いました。
眼からうろこでした。
自分は死んでもいいけど、子供は死なせたくない。
と思っていましたが、自分も母の子だった、という視点を娘は与えてくれました。
娘はそのころ、5歳くらいだったと思います。
インド人はテロが起こっても外出を控えたりしません。
すべての事象は、神様から与えられた自分の人生のストーリーに書かれていれば起こるし、書かれていなければ起こらない。
インド人は、スーパーポジティブ思考。
究極の天然のーてんきなのか、諸行無常を達観した不動の境地なのか、、、。
テロで犠牲になった場合、戦死したというような認識です。
2013年9月10日火曜日
ブッダガヤで7月に起こったテロについて
ブッダガヤで7月に起こったテロについて
2013年、7月7日、早朝、ドーン!ドーン!という大きな音で眼が覚めました。前日、パトナからブッダガヤへ4時間かけて車で移動していたので、疲れていてぐっすり眠っていたにもかかわらず、眼が覚めてしまうくらい大きな音でした。エレクトリシャン(電気技師)がエアコンでも落としたのかな?(窓に埋め込み式の大きなエアコン)とか、結婚式の行列が夜到着できずに朝到着したのかな?(結婚式の際、爆竹や打ち上げ花火をするので、爆音に慣れてしまっています)などど考えながら、また眠りにつきました。
そして、普段通り起床し、朝の身支度をしていると、スタッフから電話がありました。ヒマラヤの友人から電話があり、「ブッダガヤでテロが起こったそうですが大丈夫ですか?!」というメッセージをもらいました。「まさかっ?!?!?!」と思いつつ、テレビをつけると、見慣れたマハーボディ寺院の映像が、、、!コルカタの友人も電話をくれ、安否を気遣ってくれました。自宅としているマハマヤホテルからマハーボディ寺院は徒歩一分、まさに目と鼻の先。そんな近くにいて、テロだと気付かない、爆音に慣れすぎた自分にびっくりしました。
それから数日、インド中からジャーナリストが駆けつけ、マハーボディ寺院の周りは中継者だらけになりました。当日午前中、ビハール州知事ニティッシュ・クマールが現場を視察しました。そしてソニア・ガンジーや内務省の大臣まで、続々と要人が視察に訪れました。要人が次々に現地を訪問するので、地元警察は要人警備の対応でてんてこ舞いでした。NIA(テロなどを取り締まる特別警察)の捜査チームは、なんと、天候不良のため、ガヤ空港に降りられず、コルカタへ引き返した、というニュースもありました。
デリーやムンバイなどの都市は、常にテロの危険があるため、テロリストに対する捜査は徹底していて、対テロの特殊警察は非常に優秀だという印象があります。しかし、いざ、予想外の場所で起こった場合の対処の遅さに、今更ながらびっくりしました。
実は、予想外と言っても、昨年からブッダガヤが狙われている、という情報は発表されていて、現地的にはマハーボディ寺院の警備を厳重にしているつもりだったようです。
もともと金属探知機も壊れていて作動していなかったり、CCTVカメラの映像を見る機器も整っていなかったり、外国人の私からすれば、アゴが外れそうな、あまりにもインド的な状況だったのでした。
ここ数年、ビハール州は平和になりすぎて、警察もゆるくなってしまっていたのかも知れません。
私が嫁いだ頃は、ゲリラが多く、警察も緊張感があったように思います。
現在、NIA(http://en.wikipedia.org/wiki/National_Investigation_Agency)が中心となって調査続行中です。テロ組織などから犯行声明が出ていないこと、爆発物が小規模なものであったこと、置いてあった場所が寺院や仏像を直接破壊する場所でなかったこと、爆発した時間帯が人が少ない時間帯であったこと、ブッダガヤの複数の場所に爆弾を設置していたのでローカル情報に詳しい人物が関わっているだろうということなど、地元ではイスラム系テロ組織のやり方としては不可思議なことが多いという意見が多く、州政府に反対する政治組織などがテロに見せかけて仕組んだのではないか、など様々な推測が飛んでいます。
マハーボディ寺院は、テロの数日後から寺院を通常通り開放しています。事件の影響で、海外からの巡礼者の数は少なめですが、徐々に通常とおりに戻りつつあります。事件後、寺院周辺やゲートの警察官が増員され、寺院へ入るにはボディチェックを受けるようになっています。また、携帯やカメラは持ち込み禁止になり、ゲートで預けるようになっています。
テロ事件後、行政は寺院周辺の安全確保に力を入れており、以前から立ち退きを要請していた寺院手前の土産物店などに、再度立ち退きの通告を出しています。
今回の事件をきっかけに、インド中央政府もブッダガヤの安全や発展のために力を入れるようになりました。世界遺産のある国際観光都市として、開発に拍車がかかりそうです。
地元の人間の感覚として、実は、テロが起こった場所は、2年間くらい、すごく安全なんです。警備が厳しくなり、再びテロを起こすのが難しいからです。
ということで、今、ブッダガヤ、特にマハーボディ寺院は安全な状態です。ご心配いただきました皆さんどうかご安心ください。
テロの爆発で負傷された僧侶のお二人の早い回復をお祈りいたします。
以下、AFP通信より転載___________________________
http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2954694/11014456
【7月8日 AFP】インド東部ビハール州(Bihar)の州都パトナ(Patna)に近い仏教の聖地の1つ、ブッダガヤ(Bodhgaya)で7日、複数の小規模な爆発が発生し、僧侶2人が負傷した。歴史的寺院には被害はなかったという。地元警察が発表した。
紀元前531年に仏教の開祖、釈迦がその下で悟りを開いた菩提樹があるとされるブッダガヤの大菩提寺には、世界各国の仏教徒が訪れる。ビハール州の警察署長はAFPに対し、「神聖な菩提樹は無事で、損傷は受けていない」と語った。
警察幹部のS. K. バラドワジ(S. K. Bharadwaj)氏によれば、「7日早朝に小規模な爆発が8回連続して発生し、2人が負傷した」という。また、この他にも2つの爆弾が見つかり、寺院の敷地内で信管を取り外す処理が行われた。その1つは、高さ24メートルの有名な仏像の近くにあったという。
マンモハン・シン(Manmohan Singh)首相は、国連教育科学文化機関(ユネスコ、UNESCO)の世界遺産(World Heritage Site)にも登録されている寺院で起きた爆発を強く非難。「神聖な場所に対するこのような攻撃は、決して許されるものではない」と述べた。
アニル・ゴスワミ(Anil Goswami)内相は爆発を「テロ攻撃」だとしているが、インドPTI通信(Press Trust of India)によると、現在のところ犯行声明は出されていない。
インドでは、仏教徒に対する攻撃はまれだが、ミャンマーやスリランカ、バングラデシュでのイスラム教徒と仏教徒の衝突を受け、周辺各国でも緊張が高まっている。(c)AFP/Imran Khan
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2013年、7月7日、早朝、ドーン!ドーン!という大きな音で眼が覚めました。前日、パトナからブッダガヤへ4時間かけて車で移動していたので、疲れていてぐっすり眠っていたにもかかわらず、眼が覚めてしまうくらい大きな音でした。エレクトリシャン(電気技師)がエアコンでも落としたのかな?(窓に埋め込み式の大きなエアコン)とか、結婚式の行列が夜到着できずに朝到着したのかな?(結婚式の際、爆竹や打ち上げ花火をするので、爆音に慣れてしまっています)などど考えながら、また眠りにつきました。
そして、普段通り起床し、朝の身支度をしていると、スタッフから電話がありました。ヒマラヤの友人から電話があり、「ブッダガヤでテロが起こったそうですが大丈夫ですか?!」というメッセージをもらいました。「まさかっ?!?!?!」と思いつつ、テレビをつけると、見慣れたマハーボディ寺院の映像が、、、!コルカタの友人も電話をくれ、安否を気遣ってくれました。自宅としているマハマヤホテルからマハーボディ寺院は徒歩一分、まさに目と鼻の先。そんな近くにいて、テロだと気付かない、爆音に慣れすぎた自分にびっくりしました。
それから数日、インド中からジャーナリストが駆けつけ、マハーボディ寺院の周りは中継者だらけになりました。当日午前中、ビハール州知事ニティッシュ・クマールが現場を視察しました。そしてソニア・ガンジーや内務省の大臣まで、続々と要人が視察に訪れました。要人が次々に現地を訪問するので、地元警察は要人警備の対応でてんてこ舞いでした。NIA(テロなどを取り締まる特別警察)の捜査チームは、なんと、天候不良のため、ガヤ空港に降りられず、コルカタへ引き返した、というニュースもありました。
デリーやムンバイなどの都市は、常にテロの危険があるため、テロリストに対する捜査は徹底していて、対テロの特殊警察は非常に優秀だという印象があります。しかし、いざ、予想外の場所で起こった場合の対処の遅さに、今更ながらびっくりしました。
実は、予想外と言っても、昨年からブッダガヤが狙われている、という情報は発表されていて、現地的にはマハーボディ寺院の警備を厳重にしているつもりだったようです。
もともと金属探知機も壊れていて作動していなかったり、CCTVカメラの映像を見る機器も整っていなかったり、外国人の私からすれば、アゴが外れそうな、あまりにもインド的な状況だったのでした。
ここ数年、ビハール州は平和になりすぎて、警察もゆるくなってしまっていたのかも知れません。
私が嫁いだ頃は、ゲリラが多く、警察も緊張感があったように思います。
現在、NIA(http://en.wikipedia.org/wiki/National_Investigation_Agency)が中心となって調査続行中です。テロ組織などから犯行声明が出ていないこと、爆発物が小規模なものであったこと、置いてあった場所が寺院や仏像を直接破壊する場所でなかったこと、爆発した時間帯が人が少ない時間帯であったこと、ブッダガヤの複数の場所に爆弾を設置していたのでローカル情報に詳しい人物が関わっているだろうということなど、地元ではイスラム系テロ組織のやり方としては不可思議なことが多いという意見が多く、州政府に反対する政治組織などがテロに見せかけて仕組んだのではないか、など様々な推測が飛んでいます。
マハーボディ寺院は、テロの数日後から寺院を通常通り開放しています。事件の影響で、海外からの巡礼者の数は少なめですが、徐々に通常とおりに戻りつつあります。事件後、寺院周辺やゲートの警察官が増員され、寺院へ入るにはボディチェックを受けるようになっています。また、携帯やカメラは持ち込み禁止になり、ゲートで預けるようになっています。
テロ事件後、行政は寺院周辺の安全確保に力を入れており、以前から立ち退きを要請していた寺院手前の土産物店などに、再度立ち退きの通告を出しています。
今回の事件をきっかけに、インド中央政府もブッダガヤの安全や発展のために力を入れるようになりました。世界遺産のある国際観光都市として、開発に拍車がかかりそうです。
地元の人間の感覚として、実は、テロが起こった場所は、2年間くらい、すごく安全なんです。警備が厳しくなり、再びテロを起こすのが難しいからです。
ということで、今、ブッダガヤ、特にマハーボディ寺院は安全な状態です。ご心配いただきました皆さんどうかご安心ください。
テロの爆発で負傷された僧侶のお二人の早い回復をお祈りいたします。
以下、AFP通信より転載___________________________
http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2954694/11014456
【7月8日 AFP】インド東部ビハール州(Bihar)の州都パトナ(Patna)に近い仏教の聖地の1つ、ブッダガヤ(Bodhgaya)で7日、複数の小規模な爆発が発生し、僧侶2人が負傷した。歴史的寺院には被害はなかったという。地元警察が発表した。
紀元前531年に仏教の開祖、釈迦がその下で悟りを開いた菩提樹があるとされるブッダガヤの大菩提寺には、世界各国の仏教徒が訪れる。ビハール州の警察署長はAFPに対し、「神聖な菩提樹は無事で、損傷は受けていない」と語った。
警察幹部のS. K. バラドワジ(S. K. Bharadwaj)氏によれば、「7日早朝に小規模な爆発が8回連続して発生し、2人が負傷した」という。また、この他にも2つの爆弾が見つかり、寺院の敷地内で信管を取り外す処理が行われた。その1つは、高さ24メートルの有名な仏像の近くにあったという。
マンモハン・シン(Manmohan Singh)首相は、国連教育科学文化機関(ユネスコ、UNESCO)の世界遺産(World Heritage Site)にも登録されている寺院で起きた爆発を強く非難。「神聖な場所に対するこのような攻撃は、決して許されるものではない」と述べた。
アニル・ゴスワミ(Anil Goswami)内相は爆発を「テロ攻撃」だとしているが、インドPTI通信(Press Trust of India)によると、現在のところ犯行声明は出されていない。
インドでは、仏教徒に対する攻撃はまれだが、ミャンマーやスリランカ、バングラデシュでのイスラム教徒と仏教徒の衝突を受け、周辺各国でも緊張が高まっている。(c)AFP/Imran Khan
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卒業生、クリケッターを目指す!
8月29日、第一期卒業生プレームジート君を、隣の州、ランチーに送り出しました。
彼はこれからプロのクリケッターを目指してトレーニングを受けます。
クリケッターになるのは、彼の子供の頃からの夢でした。
IIT受験塾に通う彼が、クリケッターのトレーニングを受けることは、賛否両論で、教師たちとも話し合いをしました。
勉強は一度離れてしまうと、再度ついていくのが大変だからです。
せっかく12年生まで勉強に励んで来た努力も、六ヶ月のトレーニングの間に勉強が遅れてしまいます。
「今が最後のチャンスなんです」と言って、彼は私の所へ何度も相談に来ました。
校長と相談し、クリケットのテストをして、彼が校長に勝ったらトレーニングに行くことを許可しよう、ということになりました。
クリケットのテストをした結果、、、、校長先生が勝ってしまいました。
私も校長も、これで諦めがつくだろうと思っていました。
ところが、彼は諦めませんでした。
トレーニングの申し込み期限の二日前まで説得に来ました。
私は彼の情熱に負けました。
トレーニングの許可を出す代わりに、条件を付けました。
ランチーでも塾に通い、勉強も続けること、という条件です。
プロになれるのは、ほんの一握りしかいないこと、六ヵ月後、上のリーグへのテストで落ちることもあるということ、現実の厳しさについて話しました。
彼は、初めて親元を離れて、自分で下宿を探し、塾も見つけました。
トレーニング代は驚くほど安かったのですが、それでも彼の家族の一ヶ月の生活費の半分かかります。
衣服を運ぶバッグも、教師から借りました。
教師たちは私が彼に許可を出したことを、優しすぎると思ったと聞きました。
でも、実際は、私は彼に現実の厳しさを学んでもらいたいのです。
夢を夢のままにしておくよりも、夢を実現しようとして、失敗してしまうことのほうがよほど心に負担がかかります。
夢のままにしておけば、いろいろな条件を理由にして自分の実力をごまかすことが出来ます。
自分自身、夢に向かって何度も挑戦し、何度も挫折した経験があります。
それらは痛い思い出ですが、人生の足腰を鍛えるいい機会になったと思っています。
どんな状況でも最善を尽くして、もし傷ついても、また前を向いて進んで行く、そんな強い人になってほしいです。
6歳のころから見ているので、ほとんど母親のような気持ちで送り出しました。
2013年8月31日土曜日
卒業生たちの結婚
そして、卒業生たちの結婚式や婚約式に出席しました。卒業生たちは18歳。インドでは女性は18歳以上、男性は21歳以上でないと法律上結婚が禁止されています。彼女たちはぎりぎり18歳で、結婚は合法的に認められます。18歳になるまで、結婚しなかった彼女たちは、幼児婚の風習に勝利したことになります。彼女たちは大学まで進学出来ました。
インドの田舎では法律で禁止されている幼児婚が未だに行われています。ブッダガヤ周辺の村でも一般的です。村では2度結婚の儀式を行うこともあり、一度目は子供の間(5歳から8歳くらい)、2度目は女の子が生理が始まった時(11歳~15歳くらい)で、生理が始まるまではたいていの場合親元にいて、生理が始まれば嫁ぎ先に住むようになります。結婚相手は親が決めます。同じカースト間の結婚を維持するためにこのような風習が行われてきたのだと思います。自然に恋愛感情を持てば、相手は同じカーストとは限らない、むしろその可能性は低いので、恋愛感情を持つ思春期になる前に、親が強制的に同じカーストの相手と結婚を決めてしまう、のだと思います。
これまで、何人もの女子生徒たちが13歳から15歳の間に結婚させられ、学校をドロップアウトしました。13歳で結婚させられた子は2児の母になり、そのうち一人はスーリヤ校に今年入学しました。16歳で結婚させられたSちゃんは、大学入学のための試験はなんとか受験させてもらえたものの、すぐに嫁ぎ先に引き取られ、大学進学は断念しました。成績も良く進学を希望していたのに、親が強制的に結婚させたため、今でも結婚を受け入れられないで苦しんでいるようです。
私たちは教師たちと一緒に、生徒たちや保護者たちに機会あるごとに幼児婚の問題点や、インドの結婚に関する法律について説明して来ました。18歳で結婚する卒業生たちと、その親は、私たちの話を理解し、私たちとの約束を守ってくれたのでした。
私たちは教師たちと一緒に、生徒たちや保護者たちに機会あるごとに幼児婚の問題点や、インドの結婚に関する法律について説明して来ました。18歳で結婚する卒業生たちと、その親は、私たちの話を理解し、私たちとの約束を守ってくれたのでした。
20代半ばのピンキー先生は自ら一生懸命花嫁修業をして、お見合いの相手に気に入ってもらえるように頑張っていました。18歳で結婚した卒業生たちは、不安な気持ちやとまどいがありながらも、あきらめと希望の入り混じった感じで親の決めた結婚を受け入れました。
ほんの数年の違い。
2年から5年、心と体が成長するまで待ってあげられたら、どんなにか幸せな結婚を迎えることが出来たことか、、、。
結婚相手との新しい生活、嫁ぎ先での生活、彼女たちが幸せに暮らすことが出来ますように、、、!
祈るような気持ちで彼女たちを送り出しました。
2013年8月10日土曜日
ボランティアスタッフ・りつこさん
8月1日から、ボランティアスタッフとしてりつこさんがスーリヤ校に来てくださっています。
りつこさんは日本で看護師をされています。
スーリヤ校でのボランティアは、日本語教師として、そして、村の母子保健プロジェクトのお手伝いをしてくださいます。
さっそく、生徒たちの村へ、家庭訪問に一緒に行きました。
ほんわかとした優しい雰囲気のりつこさんは、教師たちや生徒たちとすぐに仲良くなりました。
これから2ヶ月間、よろしく御願いします!
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