2021年8月17日火曜日

タリバンが遊園地で・・・!アフガニスタン情勢2

前記事に引き続き、アフガン情勢についてです。




衝撃的な映像を見ました。

 

Taliban soldiers seen enjoying rides at an amusement park in Kabul

なんと!
ライフル銃を持ったタリバン兵士達が・・・!
遊園地で遊んでいます!!!

たぶん、初めて見たのかも知れません。

恐ろしいテロ組織の兵士も、人の子・・・だったんですね。

さらに衝撃的な映像が・・・!

アメリカの飛行機の機体にしがみついた人が
かなりの高度から落ち、死亡しました。
2名が確認されています。

Watch: 600 Afghans force themselves onto US military plane via half-open ramp. 

Photo goes viral


退避するアメリカ軍機の中に、600名もの市民がぎゅうぎゅう詰めです。

そして、タリバンと友好関係を表明した中国が、
なぜ、アフガニスタンに興味を持っているのか。

What is China's interest in Afghanistan


中国とアフガニスタンとの間には、約50キロの国境があるそうです。

そこからアフガニスタンを通って、イランを通り、ヨーロッパへの道がつながります。

実際はアフガニスタンの国境からカブールへ道路を作るよりは
すでに中国から道路がつながっているパキスタンのラホールを経由して
カブールまで道路を作るほうが最適だろう、と
この解説者は言っています。

また、アフガニスタンには貴重な地下鉱脈があるそうで、
それも狙いだろうということでした。


インドに関係する者としては、
今回のタリバンによるアフガニスタン制圧は非常に大きな脅威です。

パキスタンと協力してテロリストを養成するからです。










2021年8月16日月曜日

アフガニスタンから避難する130人乗せた旅客機 インドに到着

久しぶりにブログを更新しました。

しばらく貧血がひどくてブログをお休みしていました。

もうだいぶ治りました。


アフガニスタンはインドからはすぐお隣という感じです。

正確には隣(パキスタン)の隣ですが、

日本からすると韓国や北朝鮮のような距離感でしょうか。

タリバンのカブール制圧のお祝いのメッセージも、

ところどころ言葉は理解出来ます。

気になったニュース動画や記事をメモしました。


 アフガニスタン、タリバンが実権を掌握しました。

国外脱出のため数千人の市民が空港に殺到しているそうです。

インドのニュースチャンネルでも、そのニュースでもちきりです。

こちらは日本のニュース。


アフガニスタンから避難する130人乗せた旅客機 インドに到着 (NHK NewsWebより)

インドの首都ニューデリーの空港には15日夜、アフガニスタンの首都カブールから避難するインド人やアフガニスタン人を乗せた旅客機が到着しました。

地元メディアによりますと、旅客機にはおよそ130人が乗っていて、乗客の女性の1人は「世界がアフガニスタンを見捨てたことは信じられません。友人は殺されるでしょう。女性の権利は失われてしまうでしょう」と話していました。

BBC Hindi

TV9

アルジャジーラ

Hindustan Times

BBC News より

(以下、英語記事を日本語にグーグル翻訳)

中国はアフガニスタンとの「友好的かつ協力的な」関係を深める準備ができている、と政府の報道官はタリバンが国の支配を掌握した後、AFPに語った。

アフガニスタンの中国大使館は、国内での中国人の死傷者の報告は受けていないと述べています。

しかし、中国国民は外出せず、助けが必要な場合は世界の緊急コールセンターに電話するよう求められています。独立したサウスチャイナモーニングポスト(SCMP)によると、アフガニスタン政府の崩壊が「避難スクランブル」を開始したにもかかわらず、北京は国内のスタッフを解任する計画はありません。

SCMPは、これは大使館が「タリバンと接触した」ことを示していると述べています。

中国外務省のスポークスウーマン、華春瑩は本日、中国は現時点で「アフガニスタン国民の希望と選択を尊重する」が、「状況を監視し続ける」とメディアに語った。
・・・

パキスタンのイムラン・カーン首相は、文化帝国主義についての演説で、アフガニスタン人が「奴隷制の束縛を打ち破った」と述べた。 パキスタンでの英語教育を批判する彼のコメントは、タリバンがアフガニスタンの首都カブールを支配した翌日、急速な進歩の数日後に出された。 パキスタンは1996年にアフガニスタンのタリバン政府を承認した3カ国のうちの1つであり、首相が議長を務め、軍事および諜報機関の高官が出席する国家安全保障委員会で本日重要な決定を下すことが期待されています。 これとは別に、パキスタンの主要な宗教政党であるジャマテイスラミとJUI-Fは、アフガニスタンのタリバンが最近の「成功」を祝福し、アフガニスタンでの運動への全面的な支援と協力を拡大した。これらの宗教団体の一部のメンバーは、タリバンの乗っ取りを祝うためにスイーツも配布しました。
・・・




2020年12月26日土曜日

TOEFL109点!長女の自宅受験

 

TOEFL109点!長女の自宅受験

日本とインドのハーフの長女。

3月からインドはロックダウンで、それから日本へ帰国出来ず、

私(母)が急病で日本へ緊急帰国し、その後10月に長女も帰国出来ました。

コロナ禍の影響で、TOEFLは自宅受験になりました。

12月14日に受験し、今日、結果が出ました。

スコアは109点!

リーディングは25点、リスニングは28点、

スピーキングは28点、ライティングは28点でした。

お兄ちゃんのスコアが100点だったので、

それを超えられてとても喜んでいます!


インドの高校を日本より一年早く卒業した長女は現在、

帰国子女として大学受験真っ最中。

まだ日本の大学へ進学するか、海外の大学へ留学するか検討中です。

どちらにしてもTOEFL受験は必要なので受験しました。


TOEFL自宅受験

TOEFLの自宅受験、全部で4時間、途中10分だけ休憩があります。

試験の間、小さなホワイトボードにメモを取ることは許されています。

最初、部屋の確認をされます。

パソコンを持って部屋をぐるっと見せます。

家族が写り込んだり、話しかけたりすると失格になるそうです。

それで、受験する部屋は鍵を閉めて家族が入れないようにしました。

TOEFL自宅受験の申し込みのリンクはこちらです。↓

TOEFL ibt Home Edition (自宅受験)


テスト会場での受験も行われています。(2020年12月14日時点)

TOEFL iBT®テスト(テスト会場での受験)

現状、日本では新型コロナウイルス感染拡大の影響によって臨時閉鎖中の試験会場はなく(2020年12月14日現在)、今後も当初設定通りの日程・会場で試験が実施される予定です。
ただし、日本でのTOEFL iBT®テスト会場運営を行っているプロメトリック(株)が必要と判断した試験会場については、今後臨時閉鎖となる場合があります。受験する際は、必ずテスト前日に個人アカウントページにおけるTOEFL iBT®テスト予約内容の確認を行うことと併せて、プロメトリック(株)RRC予約センターWebページにて試験会場の開催状況に関する最新情報を確認してください。

TOEFL iBT®テスト(テスト会場での受験)

長女はこれまで英検1級に合格し、IELTSのスコアは7.5でした。

SATの受験もしたかったのですが、

日本の受験地はすべてすいぶん先まで満席になっていて、

受験申し込みが出来ない状態です。

SAT®/ACTをオプションとする大学が増加した背景

アメリカの大学に出願する際は、テスト要件としてSAT®またはACTという共通テストのスコア提出が指定されていることが一般的です。SAT®/ACTはいずれも通常は年に7回のテストが実施されており、大学進学を希望する学生は数回受験した中で最も高いスコアを提出します。
しかし今年3月以降、新型コロナウイルスの感染拡大によりSAT®/ACTのテスト実施が次々とキャンセルになり、その状況は夏まで続きました。SAT®はようやく8月末から徐々にテスト会場での実施が再開され始めましたが、今秋からの提供を検討していた在宅テストを実施しないことも発表。学校の休校・テストのキャンセル等により100万人以上ともいわれる多くの学生が6か月近くにわたってSAT®またはACTを受験できない状況に陥り、今後も状況は不透明なこと、テストの開催減(会場不足)に対し受験希望者多数により満席で受験できない学生が出る可能性もあること、などを考慮して、多くの大学で出願時のSAT®/ACTに関する通常のテスト要件を停止する動きが広がりました。

アメリカの大学入試におけるテスト要件(SAT®/ACT)の状況

海外留学をお考えの学生さんや保護者の方、

また、帰国子女で大学受験の学生さんや保護者の方、

参考にしていただければ幸いです。

2020年12月7日月曜日

州知事が当ホテルに!インドの結婚式

 


12月2日、ビハール州・州知事ニティッシュ・クマール氏が、
当ホテル(マハマヤパレス)にいらっしゃいました!

11月に再選されたばかりで、それから初めてのブッダガヤ訪問だったそうです。

翌日、新聞にも載りました。

これまで州知事には何度かお会いしたことがありましたが、
当ホテルにいらっしゃったのは初めてです!

残念ながら、私は日本で療養中。😂



当ホテルでの結婚式に参加されました。

厳重な警備体制でした。
(ゲリラを駆逐した州知事ですから)





このご時世なので、マスク着用で、記念撮影。


ご結婚、おめでとうございます!
(子供さんが州知事とセルフィー(自撮り)!)

マスクを外した新郎新婦と。

元州知事ジタラム・マンジー氏もいらっしゃいました。

「スーバー30」で世界的に有名なアナンダ先生も!

お久しぶりです!

元気になったら、またお会いしたいです。


州知事はヘリコプターでいらっしゃり、
ブッダガヤには35分滞在されたそうです。

マハーボディ寺院で世界平和のお祈りをして、
それから元秘書の息子さんの結婚式に参加されたのでした。

元秘書さんとは長年、家族ぐるみのお付き合い。

結婚式に参加できなくてごめんなさい!

ロックダウンの間、6ヶ月以上ホテルは閉鎖。
(国の命令でした)

久しぶりの大きなイベントでした。

最近、やっとポツポツ、予約が入りだしました。

早くノーマルな世界に戻れますように・・・!





2020年10月21日水曜日

子供三人だけで日本帰国・全員陰性!、パスポート更新にインド横断!

 

インドに残っていた子供達三人、
日本に帰国しました〜!

次男はパスポートが切れていて、
直前にコルカタやデリーへ、
インド横断の大旅行!!!

無事、次男のパスポート更新することが出来、
子供達三人、デリー経由で日本へ帰国出来ました。

羽田空港で抗体検査を受け、
全員陰性でした。

もし陽性だった場合、ホテルの手配など
しなくてはならないので、
日本に住んでいる長男が、
空港まで迎えに行きました。

無事、空港を出られ、羽田空港から京都の実家まで、
コロナ対応のハイヤーで帰ることが出来ました。

ハイヤーはなんと◯◯万円!!!

かなり高額でしたが、家族は羽田まで迎えに行けず、
ハイヤーを使えて助かりました!

海外からの帰国者は、
タクシー・電車などの公共交通機関を使うことを
禁止されているので、どうしようかと思っていたら、
帰国者専用「ハイヤー」はあるのだと知りました。


子供達の帰国、実はとても大変でした。

私が急病で帰国した時(9月)は、
自分自身がほとんど失明状態だったので
6歳の次女もインドに置いて、
一人で帰国しました。

私の退院のめどがついたので、
大学受験の長女(18歳)と、
オンライン授業が続いている次男(15歳)と、
同じくオンライン授業が続いている次女(6歳)を、
日本に一時帰国させることにしました。

ところが

次男のパスポートの期限が切れていたので、
まずは更新をしなくてはなりません。

数年前まで子供達はデリーに住んでいたので、
以前、私と長女のパスポートを
デリー大使館で更新してもらいました。

デリー大使館で更新してもらったら、
と主人に言うと、
「デリーよりもコルカタの方が近い。
コルカタなら車で行けるから。」
ということで、コルカタ領事館へ
主人と次男が行くことになりました。

コロナの件で問い合わせが殺到しているのか、
コルカタ領事館は電話がつながりません。

そこで、直接行ってみることに。

ブッダガヤからコルカタまで車で11時間。

ホテルは五つ星のオベロイホテル。

五つ星ホテルなのに、スリッパ!

パパもスリッパ!
勇気ある親子です。

宿泊ルームの中のテーブル。

マハラジャ、、、というより、ドン?


そして、翌日、コルカタ領事館へ。

ところが、、、、!

コルカタ領事館でのパスポート更新は、
日本で新しいパスポートを作成して、
それが郵送されるので、
最低でも一ヶ月はかかるということでした。

しかも、日印間の飛行機は臨時便しか
飛んでおらず、郵便はいつ届くかわからない状態。

そこで、急遽、主人と次男は
コルカタからデリーへ飛びました。


デリーのホテルも五つ星。

私が日本帰国前に宿泊した
レモンツリーの向かい側のホテル。




お風呂とトイレがガラス張り。
パパと二人きりだけど、
次男は恥ずかしかったようです。



そして、デリー大使館でパスポート更新を申請。

デリー大使館にはパスポート作成の機械があります。

申請して、待っている間、次男は広場で逆立ち。


新しいパスポートを発行してもらい、
デリーからパトナへ飛びました。

パトナ空港からブッダガヤまで、また車で4時間。
ブッダガヤに主人と次男が戻ったのは夜中の2時でした。

日本出発前に、義弟の生まれたばかりの赤ちゃんに、
長女と次女が会いに行きました。






そして、朝4時、ブッダガヤ出発。

4時間かけてブッダガヤからパトナへ。
主人が見送りに。


パトナ空港到着。


次女は空港に入ってから、泣き出して、
再びゲートの外のパパのところへ。
空港のオフィサーに止められながら、パパとお別れ。

パパはパトナからブッダガヤまでまた4時間車で移動。
寂しくて涙が止まらず、、、。

そして、夕方、
デリー空港へ到着した子供達と、
ブッダガヤに戻ったパパと、
ビデオコール。



そして、夜7時、
デリーからJAL臨時便、出発!!!


朝7時前、無事、羽田空港へ到着!!!

3人共、コロナ抗体検査陰性でした!

国際線出口で待っていた長男と合流し、
帰国者専用ハイヤーで京都まで約6時間。

子供達、日本帰国、大成功!!!

その夜、インドに残ったパパと、入院中の私と、
子供達と、ビデオコールしました。


子供達は2週間、実家で隔離生活です。

心配なのは、、、、

インドに置いてきたパグ2匹。
チャングーとマングー。

日本語教室でバイトしてくれているお兄ちゃんたちに
2匹を預けました。

子供達が出発した日、2匹共朝ご飯を食べなかったそうです。

ずっと寂しそうに寝転んでいました。



夕方になって、やっと食べたそうです。


ごめんね。チャングー、マングー。

そして、私、昨日退院しました〜!

約一ヶ月の入院生活でした。

ステロイドの治療は半年から1年の予定です。

しばらく自宅療養です。

数日して落ち着いたら日本語教室の授業もオンラインで再開します。

4人の子供達がいて、特に次女はまだ6歳。

マミーは病気に負けず、まだまだ頑張りますよ〜!



2020年10月16日金曜日

幻覚症状?ステロイド点滴中、天使が来て、体が浮いた!

 


インドから日本へ帰国して、網膜剥離と髄膜炎で入院しています。

「原田病」という自己免疫疾患で、ステロイド治療を受けています。

入院後、約三日間、ステロイドの点滴を受けました。

「パルス療法」と言うそうです。

点滴治療の間で、天使が来て、体が浮きました。

その浮き上がっている感覚は、あまりにもリアルで、
未だに夢だと思えないくらいです。


点滴が始まって翌日には、
死にそうなくらい痛かった頭痛が
嘘みたいにおさまりました。

頭の中で、工事現場みたいなガシャンガシャンという
爆音の耳鳴りがなっていたのも、
次第に静かになりました。

その時、起きているのか、寝ているのかの
区別がつきにくくなりました。

夢のはずだけど、リアルすぎて何時間経っても
それは夢だったのかどうか、わからないくらいでした。

特にリアルだったのが、体が浮き上がった体験です。

今でも夢かどうかわかりません。



ベッドで点滴を受けて、寝ていた私のなぜか「後ろ(背中側)」に、
看護師さんがいる、と思いました。

後ろなので見えないはずですが、その看護師さんが
私の背中を持ち上げると、私の体が浮き上がりました。

感覚として、ベッドから50cmくらい浮いている感じでした。

そして、なぜか
アメリカのインディアンのような白髪のおばあさんが
私の左足の足の裏をマッサージしてくれました。

背中の方にいる看護師さんは、
途中から天使なんじゃないかと感じました。

看護師さんの服装だけど、羽が生えていました。

首と左肩をマッサージしてくれました。

20分ほど浮いたまま、マッサージしてもらいました。

そのマッサージがものすごく気持ちよくて、
寝てしまいました。

気がつくと、ベッドで寝ていました。

ステロイドの点滴の際、「せん妄」(幻覚症状)が
起こることがあるそうですが、たぶんそれだと思います。

浮き上がった感覚、3週間経った今もまだリアルに覚えています。

ステロイド点滴は三日で終わり、
四日目からは経口のプレドニゾロン(ステロイド)に変わりました。

経過は良好で、順調に回復して来ています。



2020年9月29日火曜日

家族の愛と生徒・友人たちの祈り

 



病気になり、日本で緊急入院することになり、
心の底から感じたのは「感謝」。

家族の愛と、生徒や友人たちの祈りに。


助けようと、助かって欲しいと思ってくれる人たちがいる。

それを心の底から感じた。

祈りのパワーというのは、本当にすごい力があると思う。

みんなの祈りに動かされて、
奇跡的に日本までたどり着き、治療が間に合った。

失明は免れ、髄膜炎も治まってきた。

祈ってくれている人たちのために、
しっかり治療したい。


6歳の次女をインドに置いてくるのは辛かった。

ビデオコールする度に次女は泣いていた。
(今は少し慣れて、お兄ちゃん(次男)と遊んでいる。)

長女は一番大変。

弟と妹の世話と、犬2匹の世話。

オンラインで日本語教師のバイトも手伝ってくれている。

大学受験の準備もしている。

2年前に大病しているから、長女が疲れないか心配。


それでも、彼らをインドに残して、
日本に来なくてはならなかった。

私は感じていた。

このまま死ぬのだろう、と。


9月5日、インドのティーチャーズ・デイ。

私はひどくなる頭痛の中、必死でビデオを編集していた。

たぶん、これが最後のビデオになると思っていた。

これまで育ててきた生徒は約500人。

彼らに、何かを残しておきたかった。



インドの一番貧しい地域で暮らすということは、
病気になったら死ぬ時。

私は22年間、そのつもりでいた。

だからこそ、健康でいることに気をつけていたつもりだ。

インドの医療はこの20年間で飛躍的に発達し、
デリーなどの都市部では最先端の治療が受けられる。

しかし、私が住んでいるのはデリーから約1000キロ離れた、
インドで一番というほど貧しい地域、ビハール州。

盲腸でも死んでしまう地域だ。

医療が行き届かない地域で、結核治療へのアドバイスを
村人たちに行ってきた。

新生児の発育測定や、母親たちの育児相談・健康相談をしてきた。

そんな私が病で倒れてはシャレにならない。

なんとしても、復活して、みんなを元気付けたい。


入院前にはほとんど見えなかった目も、
ステロイド療法が効果を奏し、
三日後には視力1.0まで回復した!

ステロイド治療の影響で骨粗鬆症になることがあるので、
整形外科で骨密度測定。

なんと!

インド22年生活で、骨はボロボロか???

と思いきや、

「平均以上」でした!!!

インドの日差しのおかげか?

しいたけ食べてないのに、なぜだろう?

私は強い!

しっかり治療して、必ず復活します!

みんな、ありがとう〜!