2017年12月29日金曜日

橋のない川を渡って。アマルジット先生の人工透析治療と村訪問

アマルジット先生の腎臓移植手術にご協力ください。
ジャパンギビングでの支援受付は終了しました。ご協力ありがとうございます。
まだ手術費用実現のための寄付を募っています。一般社団法人エンジェルエイドの口座へ直接ご寄付をお願いいたします。


500円から寄付を受け付けています。
ジャパンギビングでのキャンペーンは後二日で一旦終了します。
手術実現のため、どうか、ご協力をお願いいたします。

写真右が、片方の腎臓を提供される予定のアマルジット先生のお母様です。



アマルジット先生は最近、ガヤの病院で透析治療を受けています。

数ヶ月前まで、バラナシの大学病院に通い、透析治療を受けていました。

ガヤの病院よりも少し安かったからです。

その頃、入院費用は高すぎるため、病院の近くに小さな部屋を借りて、そこから通院していました。

しかし、それも家賃を払うのが大変なので、ブッダガヤの自宅から通院することにしました。

ブッダガヤの自宅からバラナシまで約6時間。

病気で弱った体で、夜行バスで通院していました。

週に2回、透析治療をしなくてはならないので、三日に一度通っていました。

数ヶ月、奥様に連れ添っていただいてバラナシの病院に通いましたが、途中、何度か危ない状況になりました。

透析治療のため、胸に埋め込んだパイプの周辺が感染してしまい、高熱を出しました。

それで、パイプを腕に付け替えることになりました。

そこで、少し治療費が高いけれど、最近、ブッダガヤに近いガヤの病院で透析治療を受けることにされました。

ガヤの病院で透析治療を受けていらっしゃるところにお見舞いに行って来ました。

透析治療は約3時間かかるそうです。

終わるのを待っている間、奥様とお話しました。

あちこちの病院を回った話や、危篤状態になった時の話も聞きました。

そして、透析治療が終了し、村のご自宅へ送って行くことにしました。


アマルジット先生の村は、ガヤから約1時間、ブッダガヤから約40分かかります。

村の手前には川があります。

橋はありません。

普通の乗用車では渡るのは困難です。

たまたま、四輪駆動の車だったので川を渡りきることが出来ました。

夕方、病院を出て、村へ到着したらもう真っ暗になってしまいました。

しかも停電でした。

片方の腎臓を提供される予定のお母様に会えました。

カメラを向けると緊張して固まってしまわれました。

田舎の教育を受けていない年老いた女性が、よく決断されたものだと思いました。

自分の命と引き換えに息子を助けたい、という気持ちだと思います。

どうか、アマルジット先生の腎臓移植手術が実現しますよう、ご協力をお願いいたします。

2017年12月3日日曜日

シブ君の結婚式


主人と私が経営するマハマヤパレス・ホテルのウェイター、シブ君が結婚しました〜!

シブ君のファンの皆様、ごめんなさい!

でも、結婚してもやっぱりシブ君はシブ君です。

もちろん、お見合い結婚です。

インドでは一般的に両親が決める相手と結婚します。

同じカーストであることが条件です。

結婚相手の親は、娘ばかりたくさんいてとても困っていたそうです。

なかなか結婚しなかったシブ君ですが、困っている人を助けたいと思ったのでしょう。

ついに結婚を決意しました。

18歳くらいから、10年ほど働いてくれているのでたぶん今28歳くらいでしょうか?

子供達が小さかった時に子供達の世話もしていただいたので、なんだか子供達にとってもお兄ちゃんのような存在です。

私にとっては、息子が結婚するような、嬉しいような寂しいような気持ちでした。

マハマヤ・グループのスタッフたちも一堂に会してシブ君の結婚を祝福しました。

お幸せに〜!


花嫁さん。


花婿登場。


花嫁はうつむいて緊張気味。


結婚の象徴、花輪をかけ、記念撮影。



シブ君のお兄さん。そっくり!優しい気遣いもそっくりでした!


式場に駆けつけたマハマヤ・グループ・スタッフたち。


次女の大好きなシブ君。


お幸せに!


2017年12月2日土曜日

日本語能力検定試験・デリーで受験!(JLPT)2017年12月


ブッダガヤ日本語教室の生徒達、21名、デリーに到着いたしました〜!

12月の日本語能力検定試験(JLPT)受験のためやって参りました。

今回の受験者は、N1 2名、N2 1名、N3 6名、N4 4名、N5 8名、の合計21名です。

(そのうち3名は私の子供達です)

N5が初級レベルで、N1が上級レベルになります。

普段は日曜日に教室をしていますが、上級レベル受験者は毎日勉強していました。

この二ヶ月ほどは、初級・中級者も意欲のある生徒は毎日通ってくるようになっていました。

大学や高校の授業の後、通ってくる生徒もいます。

1日、昼過ぎに出発した生徒達は、翌日2日お昼頃デリーに無事到着しました。

今年は霧の影響も少なく、生徒達が乗った電車は、たったの(!)約6時間遅れでデリーに到着しました。


去年の電車の遅れ状況に比べれば、全然問題なしです!

22時間でガヤからデリーに到着しました。

今夜はデリー市内のゲストハウスに宿泊し、明日の試験に備えます。

日頃の努力の成果が出せますように、、、!

応援、よろしくお願いします!


電車の中でも勉強。


ちょっと遊んだり。


また勉強。


携帯電話で聴解の練習。


修行僧のようにひたすら勉強。


ニューデリー駅到着。



ゲストハウスでお疲れ様。


明日に備えて美味しい食事を。


2017年11月28日火曜日

交通事故で骨折した生徒の抜釘手術



昨年、下校時、大きなトラックに自転車ごと巻き込まれたカラン君(学校での名前アミット)。

1年半経ち、骨折部分に入れた釘を抜く手術をしなくてはいけません。


事故当時、頭部も負傷し、意識不明でしたが、 数日後意識を取り戻しました。

地元ガヤの病院では治療が無理なので、州都パトナの病院に移送されました。

大腿骨と腰骨の手術が行われました。

その際、両親は持っていた田畑を手放し、親戚・村人からお金を借りて、手術・入院費用を工面しました。


しかし、今回の手術のために、もう売る土地も無いのだそうです。

大工の父親は、銀行からローンを借りても、その利子すら返すことができません。

困り果て、私のところにカラン君と母親が相談に来ました。

アマルジット先生の腎臓移植手術の件で、今お金を貯めているところだったので、迷ったのですが、主人と相談し、今回は個人的にカラン君の手術費用を支援することにしました。


貧しさのため、しかるべき医療を受けることができない人達がたくさんいます。

そんな人達をどこまで助けるのか。

慈悲魔と言われても仕方がない、と言われることもあります。

ずっと魚を食べさせていては、魚は食べたら無くなります。

魚の釣り方を教えれば、その人自身が魚を捕って食べることができるようになります。

まさに、「その魚の釣り方を教えること」が教育そのものだと思います。

私たち夫婦が教育事業を始めたのは2001年。

もう16年が経ちました。

子供達は成長し、やっと大学生になったり、大学を卒業する子達も出て来ました。

彼らが就職し、今度は彼らが豊かになって、次の世代の貧しい子供達のために貢献する時が来るでしょう。

それまで、後数年かかりそうです。

教育は20年以上の長い時間がかかるものですね。

蒔いた種に水をやり、育て続けて、小さな苗木が大きく太くなり、枝葉を茂らせ、立派な木に成長して来ています。

後、もう数年で、果実を実らせることでしょう。

カラン君もその苗木の一人。

まだ成長途中で怪我をしてしまったのです。

手術費用を支援するのに、一つ条件を出しました。

「元気になったら、また日本語の勉強を頑張ること」

カラン君の夢は、メカニカル・エンジニアになることです。

日本語も勉強して、日系企業の工場でエンジニアとして働きたいのだそうです。

彼らが夢を叶えることができるよう、応援お願いします。


アマルジット先生の手術支援にぜひご協力お願いいたします。

ジャパンギビングでの支援受付は終了しました。ご協力ありがとうございます。
まだ手術費用実現のための寄付を募っています。一般社団法人エンジェルエイドの口座へ直接ご寄付をお願いいたします。










2017年11月12日日曜日

インド・輸血事情


「献血してくれる?」

先日、主人が急に長男に言いました。

主人の高校時代の先輩の奥さんが輸血を必要としている、ということでした。

その奥さんの血液型はAB+で、インドでは珍しい血液型で、ご主人がドナーを探していたのだそうです。

それを聞いた主人は、自分の子供達が同じ血液型なので、長男に聞いてみようと思ったそうです。

長男は高校3年生です。

長女、次男はまだ体が小さいので、高校生の長男がいいと思ったのでしょう。

長男は初めてのことなので、戸惑いながらも、人助けになるならと承諾しました。

長男は、「献血する際に使う針は使い回しのものではないか?」と聞きました。

インドの田舎の病院ではそれが心配です。

主人は「さすがに今の時代、それはないだろう」と言いました。

「半分、日本人だけど、いいの?」と私は聞きました。

「それは関係ないでしょ」と主人は答えました。

長男が数学が得意なので、長男の血液を輸血されたら、その人は急に数学が得意になるかもね、と私たちは冗談を言っていました。

長男は緊張しながら、どの病院にいつ行けばいいのか、連絡を待つことにしました。

学校からもすぐに行けるように心づもりをしていました。

丸1日待っても、連絡がありませんでした。

そして、主人から「朝早く、亡くなったんだって」と聞きました。

後から聞いた話では、その人は長らく患っていて、重篤な症状だったそうです。

輸血に耐えられるだけの血圧にならず、とうとう、息を引き取ったのだそうです。

お役に立てなくて残念でした。

午後、ニランジャナー川の向こうのほうで、ご遺体が荼毘に付されました。



インドでは輸血を必要とする場合、家族や親戚、友人たちに献血を頼みます。

都市部ではブラッドバンクもあり、たくさんの人が献血しています。

しかし、そういうブラッドバンクの血液の輸血により、肝炎やエイズなどに感染することもあるので、普通はよく知っている家族・友人に献血を頼みます。

私は子供達が同じ血液型でほっとしました。

もしインドで事故などで輸血が必要になれば、子供達どうしで献血できます。

主人はB+、私はA+、子供達はAB+です。

私のインドの知り合いを見る限り、インド人はB+が圧倒的に多いようです。

たまにOがいて、AやABはとても珍しいです。

インドの都市の大きな私立病院では、先進医療もしており、欧米から心臓外科など、医療ツアーも行われているそうです。

しかし、広大なインドの田舎では、まだまだきちんとした医療は行き届いていません。

★★★★★★★

ジャパンギビングでの支援受付は終了しました。ご協力ありがとうございます。
まだ手術費用実現のための寄付を募っています。一般社団法人エンジェルエイドの口座へ直接ご寄付をお願いいたします。


ブログやフェイスブックなど、何度も同じような内容の投稿となりますがご容赦ください。

アマルジット先生が生きられる可能性がそこにあるから、私は出来るだけのことをしたいと思っています。

生徒たちの思いを胸に、、、!

皆さまのご協力に心から感謝申し上げます。




2017年11月9日木曜日

緊急医療支援のお願い(アマルジット先生の腎臓移植手術について)

<緊急・医療支援のお願い>



私たちが運営しているインド・ブッダガヤの学校(スーリヤ・バハルティ・スクール)の教師アマルジット先生への緊急医療支援のお願いです。

<ジャパンギビングでの支援受付は終了しました。ご協力ありがとうございます。
まだ手術費用実現のための寄付を募っています。一般社団法人エンジェルエイドの口座へ直接ご寄付をお願いいたします。>

アマルジット先生は当校に勤続10年の社会科の先生です。

誠実で優しい人柄で、生徒たちに慕われています。

アマルジット先生は少し前から腎臓の調子が悪かったのですが、今年7月ごろ、容体が急変し、一時意識不明の危篤状態になりました。

両方の腎臓が機能しなくなっていました。

なんとか危篤状態から抜け、意識を取り戻し、人工透析治療が始まり、命を取り留めました。

透析は四日に一度しなくてはなりません。1日でも遅れると、また意識不明の状態になってしまいます。

透析治療は高額で、一ヶ月の治療費は、アマルジット先生の月給の何倍もします。

また、インドの透析治療は長期延命できるとは限りません。

アマルジット先生も、ベナレスの病院に入院中、一ヶ月に5名の患者(同じような腎臓の病気の患者)が目の前で亡くなるのを見たそうです。

担当医師は、出来るだけ早急に腎臓移植をした方が良いと言っています。

奥さんと、先生の母親が、片方の腎臓の提供を申し出ており、母親のタイプが検査でマッチしたそうです。

アマルジット先生の実家は車も通れないような超田舎にあります。

そんな田舎の、無学の年老いたお母さんが、腎臓を提供すると決意したのは、自分の命を投げ出しても息子の命を助けたい、その一心なのだと思います。

これまで入院費や透析治療など、私たち夫婦がお手伝いして参りましたが、さすがに移植手術はかなり高額で、私たちもすぐには工面できません。

そこで卒業生に奨学金支援をしてくださっている一般社団法人エンジェルエイドの役員の皆さんにご相談したところ、支援の募金を引き受けてくださいました。

実はこれまで、奥さんの方がずっと病気で、何度も開腹手術を繰り返していました。

アマルジット先生は、結婚してからずっと奥さんの看病を続けてきました。

そして、去年あたりから、やっと奥さんの病気がよくなり、健康になってきたのです。

ところが、次は急にアマルジット先生の体調が悪くなってきたのだそうです。

アマルジット先生はまだ30歳。

スーリヤ・バハルティ・スクールの生徒たちも、アマルジット先生が学校に戻って来られるのを待っています。

どうか、腎臓移植手術が実現し、アマルジット先生が健康を取り戻すことができますよう、ご支援ください。

皆さんのご協力をお願いいたします。

井上ゆき

2017年8月24日木曜日

祝!合格!JLPT・N2・N4・N5(日本語能力試験)


ブッダガヤの日本語教室からGood Newsです!!!

チャネッシュ君がJLPT・N2に合格しました!
(JLPT=日本語能力検定試験)

そして、

ビクラム君とビカッシュ君がN4に合格!

ニーラジ2君とビカッシュ2君がN5に合格しました!
(同姓同名のため、番号をつけています💦)

おめでとう〜!👏

惜しくも今回、合格できなかった子たち、

残念だけど、次回に向けて明日からまた頑張ろうね〜!

いやあ、驚きました!

まさか!

N2に初受験で合格してしまうとは・・・!

つまり、12月の試験でN3に合格して、今回の7月の試験でN2に合格。

N2の受験準備、たったの6ヶ月・・・!!!

N2やN1は、ネルー大学(インドの東大のような権威ある大学)の日本語学科で勉強するレベルです。

・・・

ありえない!

・・・

自分で教えておいて、びっくりしております。

試験直前、日本に約3ヶ月ホームステイして、日本語学校に通ったことも、
確実に実力アップにつながりました!

ニーラジ君、今回は惜しかったけど、落ち込まなくていいよ!

順調に勉強は進んでいるし、きっと次回は合格出来ます!

そして、ラメッシュ君、今回も不合格だったけど、努力賞をあげたいです!

これまでの成績から随分と点数が上がりました。

スカイプ・レッスンでご協力くださった皆様、

本当にありがとうございます!!!

ブッダガヤの日本語教室、これからますます頑張りま〜す!

よろしくお願いします!






2017年8月23日水曜日

インドのウェイター、パキスタン・チャイワラを超えるか⁉︎



主人と私が経営しておりますホテル「マハマヤパレス」にプールをオープンして早3ヶ月。

毎日多くのお客様に楽しんでいただいております!

この写真は、本人に許可をいただいて掲載しています。

実は・・・

この写真の人物、お客様ではありません。

弊社に勤続10年のスタッフなんです!!!

ウェイターさんです。

最近、フェイスブックを始めたらしく、本人が投稿したこの写真を見て、
「パキスタンのチャイワラ」を超えるか・・・!?

と思ったのは、私だけでなく、

何度かブッダガヤに来てくれている友人も同じこと思ったそうで、フェイスブックでこの写真を見て連絡してくれました!

*「パキスタンのチャイワラ」とは、ご存知の方も多いと思いますが、パキスタンを旅行された方が、男前のチャイ屋さんの写真を投稿して、全世界でイケメンだとシェアされ、チャイ屋から一転、一時期モデルになったりした、というニュースのチャイ屋のお兄さんのことです。

ホテルの仕事だけでなく、うちの子供達が小さい頃からずっとお世話になっているスタッフです。

長女が小さかった時、補助輪なしの自転車に乗る練習をしてくれたり・・・。

いや、本当は「パキスタンのチャイワラ」を超えてもらっては困ります。

うちのホテルのアイドル・ウェイターとして末長くお仕事していただきたいです。

うちのホテルはスタッフに恵まれていまして、この方以外にも数名、モデルになれそうなスタッフがおります。

またいつかご紹介しますね。


↓マハマヤパレスのスイミング・プール








2017年8月12日土曜日

チャンダンの父親の死


数日前、スーリヤ校第2期卒業生のチャンダンの父親が亡くなりました。

この数年前に撮影したビデオには、生前のお父さんが写っています。

チャンダンの母親は、6年前、すでに他界しています。

チャンダンは今19歳。

両親が二人共亡くなってしまいました。

「マダム、会いに来てくださいよ。」

電話の向こうの声は、いつもの明るいチャンダンの声でした。

私は彼の屈託のない笑顔を思い出して、ぐっと涙を堪えました。

ほんの3ヶ月前、チャンダンの妹二人は同時に結婚式を挙げました。

娘たちを結婚させて、チャンダンのお父さんは安心して天国に行ったのではないか、と私は思いました。

しかし、お父さんは、数年前から肝臓を患っていて、生きている間に娘たちの結婚を済ませてしまおうと必死だったようです。

娘たちの結婚式の間も、食べた物を吐いてしまったり、容体が悪かったそうです。

肝臓の病気になったのは、お酒が原因だそうです。

ビハール州に禁酒法が施行されたのは去年(2016年)4月からです。

もちろん、完全な禁酒にはなっておらず、村の奥のほうでは、秘密裏に別の方法でお酒が作られています。

チャンダンは長男で、19歳。

両親が結婚したのは、多分、15歳から18歳前後だったと思われます。

そうだとしたら、亡くなられたお父さんは、まだ40代手前の若さです。

チャンダンに会いに、卒業生数名と、ディレンドラ先生と一緒に行きました。

偶然、チャンダンの家の少し手前に象がいました。


チャンダンは(後頭部の一部の毛を少し残して)丸坊主になっていました。

長男として、父親の葬式などの儀式を毎日しています。

亡くなった日の夜は、ガヤのお寺で、火葬をする際、油を遺体の周りに垂らし、火をつける役目をしました。

亡くなった日から十日目、「ボウズ」と呼ばれる日は、家族の男性たちが「坊主(後頭部の一部を残して)」になる儀式をし、親戚や村人を招待して、結婚式のようなご馳走を振る舞います。

たくさんの費用がかかります。

チャンダンには高校生の弟もいます。

私はこれからの彼の生活がどうなるのか気になって、

「チャンダンのところは、畑があったよね?それで食べていけるの?」と聞きました。

すると、「あまりない、、、。」とチャンダンは答えました。

帰りの道中、他の卒業生たちが教えてくれました。

チャンダンの父親は、娘二人の結婚式のため、持っていた土地のほとんどを売ってしまったそうです。

チャンダンに残されたのは、レンガの家だけでした。

私はチャンダンに、昨年父親を亡くしたクンダンの話をしました。

クンダンは、主人と私が経営するホテルに就職し、夜勤をしながら、昼間、大学に通っています。

クンダンもそうして、母親とまだ幼い弟の生活の面倒をみています。

また、学費はエンジェルエイドから奨学金をいただいています。

「チャンダンも同じように、うちのホテルで仕事しない?」と私が言うと、「考えてみます」とチャンダンは真剣な目をして答えました。

悲しい。

でも、前を向いて歩き出して欲しい。

そう思い、お父さんのことはあまり触れず、これからのチャンダンの身の振り方について話をしました。

私は日本人なので、あまり慣れていないのですが、この日ばかりは、思いっきり、チャンダンをハグして、帰りました。

村の人々の、早すぎる生き方。

早く結婚して、早く子供を作って、早く子供を結婚させて、早く亡くなって、、、。

「法律を守って、出来るだけ男子は21歳、女子は18歳まで結婚しないように」と、私は生徒たちに言い続けています。

でも、それで良かったのかな。

村の人たちの人生は何もかも早すぎるから、遅く結婚したのでは、人生のサイクルが間に合わなくなるのでは、、、、?

と、一瞬思いながらも、

いやいや、ちゃんと教育を受けて、いい仕事をして、たくさん稼げれば、いざ病気になった時に、いい病院でいい治療が受けられる・・・

そう信じようと、また思い直しました。

あらためて、人生の短さ、人間の儚さについて考えさせられました。

どうか、チャンダンがこれから素晴らしい人生を生きられますように、、、!


(追記:上のビデオでは、パトナの塾の話が出てきますが、結局、地元ガヤの塾に行くことになりました。)


2017年8月8日火曜日

兄弟・姉妹の契り、ラクシャーバンダン


2017年8月7日、今日は「ラクシャーバンダン」というお祭りでした。

学校もお休み。

日本語教室もお休み。

ということで、朝は溜まっている仕事を少しして、昼頃、「ラクシャーバンダン」をしました。

「ラクシャーバンダン」は、姉妹が、兄弟の健康を願ってお祈りをする儀式です。

結婚して嫁いだ姉妹も、可能であれば、この儀式のために、実家や兄弟の住む所に来ます。

もし遠すぎて会いに行くのが難しい場合は、前もって郵送で、その儀式に使う「ラキー」を送ります。

「ラキー」は「ミサンガ」みたいに手首に付けます。

姉妹が、兄弟の手首に付けます。

儀式の後、姉妹は兄弟にお菓子を食べさせ、兄弟は姉妹にお金をあげたり、プレゼントをあげます。

兄弟の健康を祈ることで、離れていても、姉妹に何かある時は兄弟として姉妹の加護をする、というような契約の儀式です。

本当の兄弟・姉妹だけではなく、従兄弟や、親しい異性の友人とも、兄弟・姉妹の契りを結ぶことが出来ます。

私の場合は、2009年から、主人の友人のジャーナリストのカマルさん(写真上)、そして数年前から、主人の妹の夫(義弟)アムレンドラさんに「ラクシャーバンダン」をさせていただいています。

義弟のアムレンドラさんと。

「ラキー」

離れて暮らす妹二人から郵送で届きました。

マリオ社長、ご満悦です。

長女は、兄と弟、そして、従兄弟たちや友人たちの手首に「ラキー」をくくりました。

「ラクシャーバンダン」の日に食べる「キール(乳粥)」・「プーリー(薄い揚げパン)」・「アルーダム(ジャガイモのカレー)」

仕事はお休みの日とはいえ、忙しい1日でした〜!




2017年7月27日木曜日

激動!ビハール州州知事辞職!


2017年7月26日、ビハール州の州知事ニティッシュ・クマール氏が辞職しました。

ビハール州の「歴史が動いた」瞬間です。

インドではどのニュースチャンネルもそのニュースばかり報道しています。

ニティッシュ氏が辞職したのは、州政府の連立解消のためです。

不正や汚職で追求されていた副知事のテジャスウィ・ヤダブ氏に辞職を促したところ、その父親であり、州政府の連立政権の党首ラルー・ヤダブ氏が息子の辞職に反対したのです。

そこで、一旦、ニティッシュ氏が州知事の職を辞職し、州政府を終了させてから、BJP党と再度連立を組むことにしたようです。

現在、新たな州政府の組閣のため、ニティッシュ氏率いるJDUと連立相手のBJPの幹部たちが話し合いをしています。

JDUとBJPは、連立解消してから4年ぶりの再連立となります。

再びニティッシュ氏が州知事となり、BJPのスシール・モディ氏が副州知事となることが発表されています。

スシール・モディ氏は、以前の連立政権で、副州知事だった方です。

<過去のJDUとBJP(NDA )の連立と決別>

元々、ニティッシュ氏は自分の政党単独で州政府を運営したことはありません。

ずっと長い間、JDUとBJPの連立で選挙に勝利して来ました。

ところが、4年前、ナレンドラ・モディ氏がBJPから首相候補になった時、ニティッシュ氏は自分の方が首相になる実力があると、モディ氏に対抗し、BJPと連立を解消してしまいました。

そしてその後、なんと、ニティッシュ氏は、世界的に悪名高いラルー・ヤダブ氏が率いるRJDと連立を組んだのでした。

<世界的に有名な政治家ラルー・ヤダブ氏>

ラルー氏は、過去、州知事だった時代、汚職や様々な事件を起こし、刑務所に入っている間も、夫人を代わりに州知事として刑務所から指示を出していました。

共産主義系のゲリラであるナクサリライト(マオイスト)とのつながりも強く、警察を弱体化させ、ゲリラに協力してもらい、不利な選挙区を襲撃させたりしていました。

一族はマフィア化しました。

私が嫁入りした当時(98年)は、ラルー氏一族の全盛期で、夜間の外出は出来ませんでした。

<ニティッシュ州政府が起こした奇跡>

あまりの治安のひどさに中央政府が介入して選挙が行われ、2005年、ニティッシュ氏が州知事に選ばれました。

それから、ビハール州はまさに奇跡の変化を遂げます。

警察を強化し、ゲリラを撃退し、マフィアは息を潜めました。

<JDUとRJD・コングレスetc.の連立政権>

2015年、ニティッシュ氏はBJPと袂を分かち、RJDと連立を組みました。

副州知事には、ラルー氏の次男テジャスウィ氏を、また長男テージプラターブ氏を健康省大臣にしました。

それからこれまで、私たちは治安が悪化しないか心配しましたが、元マフィアが元気になったため多少の事件が起きたものの、さすがニティッシュ知事、なんとか治安を悪化させませんでした。

テジャスウィ氏は、元クリケット選手で、自分は父親と違い、クリーンな政治家だと自負していました。

しかし、他人名義での土地建物の購入など不正が明るみになり、辞職を求められていました。

<JDUとBJP(NDA)連立政権の州政府・再び>

実は、私はこの流れを数日前に少し感じていました。

インドの大統領が交代する際、前大統領プラナーブ・ムケルジー氏の送別パーティに出席した州知事はほとんど全員BJP所属の中、ニティッシュ氏とナビーン・パトナイク氏の2名だけが違っていたと言うニュースを見ました。

また、新しく選出された大統領のラム・ナート・コビンド氏は、これまで2年程ビハール州のガバナー(州の大統領)でした。

コビンド氏の大統領就任式では、野党からはニティッシュ氏だけが、BJP幹部の政治家たちと並んで最前列に座っていたと言う報道がありました。

コビンド氏は元々BJPの政治家です。

ここ数日、ニティッシュ氏がBJPの政治家達や、そしてモディ氏と距離が縮まっているな、と言う感じがしていたのです。

JDUとBJPの連立州政権が再びスタートします。

長年連れ添った夫婦が一度離婚して、再婚するような感じです。

ニティッシュ氏や連立州政府に入る方々には、個々の政治家としてプライドより、人民の安全や州の発展のためにぜひ頑張っていただきたいです。



2017年6月19日月曜日

目指せ!JLPT・N2!日本研修 「神社参拝・初体験!」

「神社参拝・初体験!」

日本到着後、体調を崩したチャネッシュ君はホストファミリー宅でお休み中、
ニーラジ君は岡山県津山市を訪問しました。

イシンホーム本社や、住宅建設現場の見学もさせていただきました!

そして、なんと、石原社長のご自宅にホームステイ!

地域の皆さんと歓迎パーティもしていただき、「刺身」を初めて食べました〜!

初めて見る日本食や様々なお料理に、ニーラジ君、ご満悦でした!

社長宅では、室内トレーニング・マシーンにびっくり!

奥様の手料理の朝食、肉厚のシャケが最高でした!

最新のテクノロジーで、アレルゲンなどを取り除いた爽やかな室内。

足裏からポカポカ温めて、血行の循環が良くなる床暖房。

こんな家、インドにも欲しい〜!と思いました!

ニーラジ君も最先端の日本の住宅を体験出来て、とても勉強になったと思います。

そして、神社に参拝、初体験!

日本の素晴らしさを満喫したニーラジ君、この体験が将来仕事をする時に役立ちますように・・・!

石原社長ご夫妻、ありがとうございました!

⇩日本到着までのビデオです。
デリー空港から出発し、関西空港へ到着。

ホストファミリーが空港へお出迎え。

到着の様子は、 エンジェルエイド・ブログ に
トマトママが書いてくださいました!