2016年12月12日月曜日

寝台列車32時間!日本語能力検定試験(JLPT)受験への道


<12月2日>

12月2日お昼ごろ、日本語教室の学生達は、4日に行われるJLPT(日本語能力検定試験)受験のため、デリーに向かって出発しました。

JLPT・N3受験は2名、N4受験は2名、N5受験は6名です。その他、引率の教師2名も、N3を受験します。

学生達が乗った寝台列車は、お昼2時ごろガヤ駅を出発し、翌朝3日の早朝6時ごろニューデリー駅に到着する予定でした。


今回、私の子供のうち3人とも、JLPTを受験することにしました。

日本人なので、本来は受ける必要はないのですが、彼らの日本語の読み書きの能力を測るため、受験することにしました。

長男はN2、長女はN4、次男はN5の受験です。

私達は別の列車で2日の夜22時半ごろガヤ駅を出発しました。

12月から1月にかけて北インドは冬になります。

この時期、真っ白な霧で視界が悪くなり、列車はよく遅れます。

私の列車は翌朝10時ごろニューデリー駅に着くはずでした。

しかし、到着したのは3日夜19時ごろでした。




<3日>

冬場、列車が遅れるのは常態となっているので、電車には食事のストックが用意されています。

ご飯と豆のスープと漬物という、ごくシンプルな食事です。

今回は、コックさんが上手だったらしく、そのシンプルな食事もおいしく食べられました。

9時間遅れの到着で、合計23時間ほど列車に乗っていたことになります。

私は自分の子供達を連れてメトロ(地下鉄)でデリーの家に向かいました。

普段なら、荷物が多いので、ニューデリー駅からはタクシーで行きます。

しかし、今回は大きな荷物と赤ちゃんを抱えて、メトロに乗りました。

実は、タクシーに乗るだけの現金がなかったからです。

ご存知の方もいらっしゃると思いますが、インドは今、旧高額紙幣が廃止になり、銀行に人々が殺到し、新しい紙幣の供給が間に合っていません。

学生達も、受験に来る度、デリー駅周辺のホテルに宿泊していましたが、今回はそのホテル代を支払う現金がなかったので、私のデリーの家に全員(!)泊めることにしました。

私達が家に着いたのが夜9時ごろです。

学生達の乗った電車はまだデリーまで到着していませんでした。

結局、彼らの電車がデリーに到着したのは夜11時ごろでした。

16時間のはずが32時間の列車の旅になりました。

学生達はそれからメトロの最終電車に乗って、私の家までなんとか辿りつきました。

主人の妹ムニさんがお昼ご飯用に大量に用意しておいてくれたチキンカレーを食べました。

居間に敷布団をひいて、ありったけの毛布をかけて、みんな雑魚寝しました。

<4日>

翌朝、8時には試験会場に着かなくてはならないので、全員が順番に身支度をするため、みんな朝5時ごろ起きました。

睡眠時間は4時間ほどでした。

試験会場まではメトロを使います。

いくつかの私立の学校が試験会場になっていて、受験するレベルによって、場所が分けられていました。

試験は9時開始、12時ごろ終了しました。

それから、学生達はそのまま買い物に行き、直接ニューデリー駅に夜19時ごろ到着しました。

ガヤ行きの列車はその日の夜22時ごろ出発の予定でしたが、霧のため遅れており、翌朝6時に出発しました。

列車がいつ来るかわからないので、学生達は一晩駅のホームで寝ました。





<5日>

私と子供達は列車の予約が取れなかったので、飛行機でデリーからパトナに向かい(1時間半)、パトナから車でブッダガヤへ戻りました。

トラックが渋滞していて、普段3時間の道が6時間かかり、私達がブッダガヤに到着したのは5日の夜中になりました。

<6日>

学生達がガヤ駅に到着したのは6日の朝5時ごろでした。

学生たちは帰りも23時間ほどかかりました。

さて、試験の結果が出るのは約3ヵ月後です。

学生達の苦労が報われますように、、、!

2016年11月16日水曜日

霊鷲山・ナーランダ大学遺跡・竹林精舎 エンジェルエイド・スタディツアー


8月16日、ブッダガヤから約70キロの距離にある霊鷲山(りょうじゅせん・Rajgir)に、エンジェルエイド・スタディツアーの皆さんと行きました。

霊鷲山は、お釈迦様が説法をされていた場所として有名です。

その説法されていた場所は山頂にあり、麓から歩いて登ると20分ほどかかります。

レンガ造りの説法壇は、(たぶん)当時の面影を残したまま保存されています。

日本の真夏と梅雨がいっぺんに来たような、うだる暑さの中、山頂まで登るのは大変ですが、山頂からの眺めは格別で、麓や緑が生い茂る山々が続く、遠い地平線まで見渡すことが出来ます。

スリランカ人の巡礼者や、ヒンドゥ教の巡礼者もたくさん参拝されていました。

麓のホテルで昼食を取り、ナーランダ大学遺跡を見学に行きました。

ナーランダ大学は全長10キロ四方あるそうですが、発掘されているのはその10分の一程だそうです。

地元のガイドのおじさんが英語で一生懸命説明してくださいました。

そのおじさんの説明をさらに主人が日本語に訳し、もっと詳しい解説を加えるので、ちょっとおじさんは寂しそうでした。

ナーランダ大学遺跡の見学の後、竹林精舎に参拝しました。

そこにはお釈迦様が沐浴されたであろうという池があります。

雨が降り出したので、少し急いで車に戻り、ブッダガヤへの帰路につきました。

エンジェルエイドのスタディツアーの報告、まだまだ続きます。





















2016年11月11日金曜日

インド・新紙幣発行パニック!デノミネーション!

11月8日夜、長男が「マミー、えらいこっちゃ!500ルピーと1000ルピーの札、使えなくなるねんて!」と言い出しました。

私は「そんなアホな。また嘘のニュースちゃうか?」と疑いつつ、ネットで確認してみると、確かにどのメディアも本気で報道していました。

500ルピーと1000ルピーの新札が発行されるため、旧札が紙幣としての価値を失効するのだそうです。

モディ首相はいよいよ本気でブラックマネーと偽札の取り締まりのため、強硬措置を決行したようです。

翌日9日からは、500ルピーと1000ルピー札は価値を失い、一般市場では使用出来なくなります。

一部政府機関などでは使用できると言われていますが、政府系病院など特殊な場合を除き、すでに両札は拒絶されています。

政府の発表から一夜明けて、9日は銀行が全国閉鎖されていました。

新札の導入の準備のためのようです。

色々なニュースを読んだところ、12月30日まで、旧札を自分の銀行口座に預けて、新札を引き出すことが出来るということでした。

それで私はまあ、12月30日の直前までは市場で旧札も使えるだろうと軽く思っていたのです。

ところが、事態は非常に緊迫していました。

まず困ったことは、野菜などの食料品が買えなくなったことです。

もちろん、100ルピー札や硬貨などはこれまで通り使えますが、ホテルを経営している私達が持っている現金は500ルピーと1000ルピーばかりです。

2歳の娘が飴を欲しがったので、スタッフに頼んで買ってきてもらいましたが、1時間かかりました。

手元に500ルピー札しかなく、飴を買うためにあちこちの雑貨屋を回ってくれましたが、どこも500ルピー札は受け取ってくれませんでした。

そこで彼は、ガソリンスタンドに行ったそうです。

ガソリンスタンドでガソリンを補給してもらってから、何も言わずに500ルピーで支払おうとしました。

最初は断られましたが、もうすでにガソリンを入れてしまったのと、それしかない、ということで、あきらめて受け取ってくれたそうです。

パスポート申請のためパトナへ行っていた日本語教室の生徒たちも大変でした。

一人は8日の夜11時ごろにガヤ駅に着き、オートリキシャーに乗ったのですが、到着して支払う段になって、500ルピーしか持っておらず、運転手が受け取りを拒否したのです。

その運転手はすでに旧札無効のことを知っていました。

その生徒は近くにいた人たちに声をかけ、100ルピーに両替してもらいました。

たまたま、そのニュースを知らない人がいたのです。

地元の小さな店などは旧札の受け取りを拒否しますし、そのことを理解した民衆は買い物をあまりしなくなり、小さな店の店主たちは今売り上げが出ず困っているようです。

10日になって、銀行が開きました。

旧札を預けて新札を引き出すため、大勢の人々が銀行へ殺到しています。

しばらくは混乱が続くと予想されます。

大きな商売をしている会社は、普段から銀行送金や小切手でのやり取りをしているので通常通りです。

インド中、あちこちで旧札が燃やされています。

2.5ラーク(250000)ルピー以上でも銀行に預けることが可能だそうですが、それ以上の額になると、税務署のチェックが入り、税務申告と矛盾があれば、脱税の罪になる可能性があり、200%のペナルティがかかるのだそうです。

インドは脱税をする人が大勢いるので、一定の額以上の現金を自宅や会社に持っていることも違法とされています。

ですので、ビジネスをする人たちは、出来る限り、その都度その都度銀行送金や小切手での支払いを心がけています。

インドのグーグル検索では、「ブラックマネーをホワイトマネーにする方法」というキーワードが上位に急上昇したそうです。

12月30日が旧札を預金出来るデッドラインですが、3月が本当に最終になると言われています。

新しい2000ルピー札が出る、という話も、それにはナノチップが埋め込まれていて、地中数メートルの場所に隠しても検知される、とか、色々な噂(嘘のニュース)も流れています。

外国人の観光客も現金での支払いの際、旧札で支払いが出来ないのでとても困っています。

もっと前から情報を流して、人々が対応出来るようにしてくれていたらいいのに、、、とも思いますが、そうすると、目的であるブラックマネーへの外科的手術が結局出来なくなってしまいます。

本当に突然新札への切り替えを発表したモディ首相の意図はよく理解出来ます。

旧札から新札へ換える銀行での手続きには、PANカード(納税証明書)などの身分証明書が必要だそうです。

私も出来るだけ早めに新札に交換してもらおうと思っています。

2016年11月5日土曜日

象、霊鷲山への道中、アートマさん宅訪問(8月16日) エンジェルエイド・スタディツアー


エンジェルエイド・スタディツアーでは、支援先の現地NGOの活動の見学だけでなく、観光もしました。

ブッダガヤから車で2時間半ほどの場所にあるラージギール(霊鷲山)があります。

お釈迦様が説法をされていた場所です。

そのラージギールへ向かってブッダガヤを出発したところ、象に会いました。

移動中だったので全員が象に乗る時間はありませんでしたが、「ヨリヨリ(ニックネーム)」さんが代表して象に乗り、みんなで記念撮影しました。

ラージギールまで車で移動中、私と主人と社会科教師の「がいち」さん、アーティスト「るんくみ」さんが乗ってた車は、もっぱら日印の歴史話をしていました。

他の2台は、車の中で歌ったり踊ったり大変にぎやかだったようです!

ラージギールに着く手前でお手洗いに行きたくなり、トイレのあるガソリンスタンドを探していたら、同行していたホテルスタッフのアートマさんの実家がすぐ近くだということで、そこでお手洗いを借りることになりました。

アートマさんの実家のすぐ目の前には山が切り崩されて作られた道路があり、ラージギールへの近道になっています。

その道路は、ダシュラット・マンジーという人が22年間かけて一人でハンマーで作った道路です。

なんと、ボリウッド映画になっています!!!


アートマさんの村はマンジーと同じ村で、マンジーの息子さんがアートマさんの実家で農作業などを手伝っていたそうです。

地元の話が映画になるって、すごく変な感じで、私は飛行機の中でこの映画を観たのですが、セリフがコテコテの地元の方言だったので、ウケまくりました!

映画の話は止まらなくなるので、また別に書くことにします。

アートマさんの実家では、ちょうど年に一回の特別な儀式の日で、アートマさんの奥さんも実家に来られていました。

お手洗いをお借りしただけでなく、おいしいチャイもいただいて、みんなほっこり、、、!

休憩しながら、普通のお家体験させていただきました。

さて、次はいよいよ霊鷲山です。(続く、、、)











アートマさんと奥さん

アートマさんの義理の妹

チャイ・タイム

ほっこり~!

チーズ!